『呪術廻戦』芥見下々=女性説はデマだった?6年間のネット論争に終止符を打った”決定的証拠”

『呪術廻戦』という怪物コンテンツを生み出した作者、芥見下々先生。

その正体は、連載開始から長らく厚いベールに包まれてきました。

特にファンの間で白熱したのが「芥見下々の性別は男か、女か?」という大論争です。

あなたも一度は、ネットの海でこの議論を目にしたことがあるのではないでしょうか。

連載初期は「女性説」が圧倒的優勢。しかし、ある時点を境に風向きは変わり、状況は二転三転。

今日はこの6年にも及ぶ巨大なネットミームと化した論争の全貌を、改めて振り返ってみたいと思います。

そして、この騒動が俺たちファンに何を問いかけているのか。少しだけ深く、考えてみませんか。

なぜ「女性作家説」はあれほどまでに信じられたのか?

そもそも、なぜ多くの読者が芥見先生を女性だと信じていたのでしょうか。

2018年の連載開始当初、俺も正直「これは女性作家だろうな」と感じていました。

その理由は、作品の随所に散りばめられた「女性ならでは」と評される感性にあります。

魂を揺さぶった釘崎野薔薇の”あの”セリフ

最大の根拠として挙げられたのが、女性キャラクター、特に釘崎野薔薇の圧倒的な解像度の高さです。

彼女が言い放った「私が私であるためだもの」というセリフ。

「男だから」「女だから」という古い価値観を蹴散らし、一個人のアイデンティティを叫ぶ姿に、魂を揺さぶられた読者は少なくないはずです。

あのリアルな心理描写は、男性作家には描けないのではないか?

そうした声がネット上で共感を呼び、女性説の大きなうねりとなっていきました。

他にも、繊細でどこか中性的なキャラクターデザインや、登場人物たちの複雑な感情の機微を描く手腕。

これらが「女性作家説」を補強する材料として、日々積み上げられていったのです。

空気を一変させた「声」という物理的証拠

女性説が定説となりつつあった2019年末。論争の流れを根底から覆す”事件”が起きます。

それは、幕張メッセで開催された「ジャンプフェスタ2020」でのことでした。

芥見先生はステージイベントに音声のみで出演。

その直後、会場にいたファンたちから、Twitterに驚きの報告が次々と投稿されたのです。

「芥見先生の声、完全に男だったんだが…」

「低めの落ち着いた男性の声。聞き間違いようがない」

これらの一次情報が一気に拡散。これまで憶測でしかなかった議論に、「音声」という物理的な証拠が突きつけられた瞬間でした。

とどめの”メカ丸”出演

そして、この流れに決定打を放ったのが、2021年のテレビ番組『漫道コバヤシ』への出演です。

もちろん、顔出しはNG。そこで番組が用意したのは、なんと特製の「メカ丸」。

この時点で「作者の匿名性を守る執念がすごい」と感心しましたが、問題はその声です。

メカ丸を通じて発せられたのは、ジャンプフェスタの証言を裏付ける、紛れもない男性の声でした。

これには、最後まで女性説を信じていたファンも、一度は頭を抱えたのではないでしょうか。

さらにダメ押しとして、『BLEACH』の久保帯人先生との対談では「男子校出身」に言及。

週刊少年ジャンプの巻末コメントでは一人称「俺」の使用も確認され、外堀は完全に埋められていきました。

鎮火かと思いきや…大物漫画家の”うっかり”発言で再燃

さて、ここからは少しゲスい話になりますが、この論争はこれだけでは終わりませんでした。

男性説でほぼ決着かと思われた2022年、事態を急変させる爆弾が投下されます。

投下主は、なんと漫画家の赤松健先生。

当時、参議院議員選挙に出馬していた赤松先生が、表現の自由に関する会見でこう発言したのです。

「例えば『呪術廻戦』、あれは女性の作家さんが描いてます」

業界の大物からの、まさかの一言。

ネットは「やっぱり女性だったのか!」「いや、赤松先生の勘違いだろ!」と、再び戦場と化しました。

文春オンラインまでもがこの騒動を取り上げる事態となり、論争は最大風速を記録。

ファンの間では、これまでの証拠を並べ立てた推理合戦が、日夜繰り広げられたのです。

メディアと集英社が貫いた「完全中立」という美学

ここで興味深いのが、ファンがこれだけ大騒ぎしている一方で、公式サイドと大手メディアが取ったスタンスです。

彼らは、この論争に対して「完全な沈黙」と「徹底した中立」を貫きました。

コミックナタリーやアニメ!アニメ!といった主要メディアの記事を読んでも、「芥見下々先生」「作者」といった表現のみ。

性別を特定させる代名詞や形容詞を一切使わないその姿勢は、もはや芸術の域に達しています。

これは、作者のプライバシーと創作活動の自由を何よりも尊重するという、業界全体の強い意志の表れと言えるでしょう。

思えば、『鋼の錬金術師』の荒川弘先生も、男らしいペンネームと牛の自画像で、長年性別が曖昧なままでした。

少年漫画の世界では、「女性作家」というだけで作品に先入観を持たれることを避けたい、という歴史的背景があるのかもしれません。

結論:この6年間の騒動が、俺たちに問いかけたもの

さて、長々と語ってきましたが、結論です。

複数の独立した音声証言という、覆しがたい物理的証拠を鑑みると、芥見下々先生は男性である可能性が極めて高いと言わざるを得ません。

しかし、俺が本当に話したいのはここからです。

結局のところ、芥見先生の性別がどちらであれ、『呪術廻戦』がとんでもなく面白いという事実に、1ミリも変わりはないのです。

この一連の騒動で興味深かったのは、海外ファンとの温度差でした。

海外の巨大掲示板Redditなどでは、「作品が面白ければ作者の性別なんてどうでもいい」「プライバシーの侵害だ」という冷静な意見が大半を占めていました。

翻って日本では、まるで探偵ごっこのように証拠探しに熱中する側面があったのは否めません。

この6年間に及ぶ論争は、俺たち読者に一つの重い問いを投げかけている気がします。

「我々は、作家の個人属性と作品そのものを、きちんと切り離して評価できているだろうか?」

作者の性別を知った途端、作品の見方が変わってしまうとしたら、それは少し寂しいことではないでしょうか。

芥見先生が匿名を貫く理由は、まさにその点にあるのかもしれません。

この長い論争は、俺たちファンがより成熟するための、一つの通過儀礼だった。

今は、そんな風に思えるのです。

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