『呪術廻戦』の“異物”――虎杖悠仁はなぜ主人公たり得たのか? その魅力と孤独を再考する

少年漫画の主人公といえば、どんなキャラクターを思い浮かべるだろうか。

大いなる夢を掲げ、仲間との絆を力に変え、絶望的な状況を覆す特殊な血筋や才能を持つ――。

そんな「王道」のフォーマットに、俺達は幾度となく胸を熱くしてきた。

しかし、『呪術廻戦』の主人公・虎杖悠仁は、その王道から少し、いや、かなりズレた場所に立っている。

彼は一見すると、快活で善人、そしてとんでもない身体能力を持つ、好感度の高いキャラクターだ。

だが物語を読み進めるほどに、彼が背負わされた「地獄」の重さに気づかされる。

今回は、この“異物”とも言える主人公、虎杖悠仁の魅力と、その根底にある深い孤独について語っていきたい。

規格外のフィジカルと「普通」の心というアンバランス

虎杖悠仁を語る上で、まず触れないわけにはいかないのが、彼の異常なまでの身体能力だ。

呪術の世界に足を踏み入れる前から、彼はすでに人間離れしていた。

  • 50メートルを3秒で走る(世界記録の3倍以上の速さ)
  • 砲丸投げで30m弱を記録(世界記録を余裕で超え、しかもサッカーゴールにめり込む威力)
  • 校舎4階まで軽々と跳躍する

これらのスペックは、すべて呪力なしの素の状態でのものだ。もはやギャグの領域である。

伏黒が「東京校・京都校の全員が呪力無しで戦ったら虎杖が勝つ」と断言するのも頷ける。

しかし、このフィジカル・モンスターの内面は、驚くほど「普通」の高校生なのだ。

趣味はカラオケやテレビ鑑賞で、微妙なモノマネレパートリーが多い。

この「異常な肉体」と「平凡な精神」のギャップこそが、虎杖悠仁というキャラクターの核であり、彼の悲劇の始まりでもあるのではないだろうか。

普通の心が、普通じゃない現実とどう向き合うのか。その問いが、彼の物語を貫いている。

祖父の遺言という名の「呪い」

虎杖の行動原理は、非常にシンプルだ。

「オマエは強いから人を助けろ」

「オマエは大勢に囲まれて死ね。俺みたいにはなるなよ」

これは、物語冒頭で亡くなった祖父・倭助の遺言である。

この言葉を胸に、彼は呪術の世界で「正しい死」を求め、目の前の人々を救おうと奔走する。

一見すると、これは少年漫画の主人公らしい、立派な動機に見える。

しかし、『呪術廻戦』という作品は、そんな甘っちょろい善意を徹底的に打ち砕いてくる。

彼が救おうとした吉野順平は、目の前で無惨な姿に変えられ、命を落とした。

渋谷事変では、宿儺に肉体を乗っ取られ、彼の意思とは無関係に、彼の身体が街を破壊し、数えきれない人々を虐殺した。

「人を助ける」という善意が、結果的に最悪の事態を招いてしまう。

この皮肉な構図は、祖父の言葉が彼を導く指針であると同時に、彼を縛り付ける強烈な「呪い」であることを示唆している。

彼の善性は、この理不尽な世界において、あまりにも無力で、痛々しいのだ。

器ではなく「檻」――宿儺との絶望的な関係性

多くの物語では、主人公が内に秘めた強大な力と心を通わせ、共闘する展開が待っている。

しかし、虎杖と彼の中の「呪いの王」両面宿儺の関係は、その真逆をいく。

宿儺は虎杖に一切協力せず、むしろ彼の苦しむ姿を嘲笑い、その仲間を殺そうと画策する。

虎杖もまた、宿儺を自身が祓うべき「呪い」としか見ていない。

そこに和解の余地はなく、あるのは完全な敵対関係だけだ。

宿儺が虎杖を評した「檻」という言葉は、彼らの関係性を的確に表している。

虎杖は宿儺の力を利用する「器」ではなく、ただその存在を封じ込めるだけの牢獄に過ぎない。

主人公でありながら、その力の源は自分のものではなく、制御もできず、ただただ自分と周囲を苦しめるだけ。

この設定が、虎杖悠仁という主人公に、他の誰にもない深刻な孤独を与えていると言えるだろう。

「作られた存在」としての哀しみと、それでも続く戦い

物語が進むにつれて、虎杖の出自にまつわる衝撃的な事実が明かされていく。

彼の母親は、史上最悪の呪詛師・羂索。

そして、彼の異常なまでの肉体と宿儺への耐性は、天賦の才などではなく、羂索によって「宿儺の指を生まれながらに封印された、作られた存在」であったことに起因する。

つまり、彼の人生は、始まる前から誰かの壮大な計画の駒として設計されていたのだ。

この事実は、彼のアイデンティティを根底から揺るがす、あまりにも残酷な真実だ。

しかし、虎杖悠仁はそれでも折れない。

自分が何者であろうと、誰かの計画の一部であろうと、彼は「部品」になる覚悟を決め、宿儺を殺すために戦い続ける。

「自分が死ぬ時のことは分からんけど 生き様で後悔はしたくない」

第1話で彼が口にしたこの言葉が、彼の不屈の魂を象徴している。

彼の魅力は、超人的な強さや特別な能力ではない。

どんな地獄に突き落とされても、その「生き様」で後悔しないために足掻き続ける、その人間性そのものにあるのではないだろうか。

最後に

虎杖悠仁は、少年漫画の主人公という枠組みを借りながら、その実、徹底的に「主人公補正」を剥奪されたキャラクターだ。

彼の前には、安易な勝利も、都合のいい奇跡も用意されていない。

ただ、血と涙と後悔にまみれた道が続くだけだ。

それでも彼は、きっと戦いをやめないだろう。

彼が最後に、祖父の願った「大勢に囲まれて死ぬ」という結末を迎えられるのか。

まあ、あの作者のことだ。一筋縄ではいかないだろうが、我々読者は、彼の「生き様」を最後まで見届けるしかないのだ。

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