「落ちこぼれ」は最高の称号だった? うずまきナルトがJUMP史上最も泥臭い英雄になれた理由

「落ちこぼれ」というスタート

『NARUTO』の主人公、うずまきナルト。

今でこそ「七代目火影」「忍界を救った英雄」なんて大層な肩書がついて回りますが、連載当初の彼を思い出せますか?

忍者学校の成績は万年ドベ。得意技は「おいろけの術」。

里の大人たちからは疫病神のように扱われ、同級生からも煙たがられる問題児。

正直、「こいつ、本当にジャンプの主人公か?」と誰もが思ったはずです。

しかし、物語が終わる頃には、俺たちは皆、この金髪の落ちこぼれに涙し、拳を握りしめていました。

なぜ俺たちは、あれほどまでにうずまきナルトに感情移入してしまったのか。

今回は、彼の「落ちこぼれ」という原点に立ち返り、その魅力の本質を解剖していこうと思います。

最小はただの承認欲求と孤独だった

ナルトの初期衝動、それは徹頭徹尾「承認欲求」でした。

火影岩に落書きをしたり、授業をサボったり。彼のイタズラは、単なる悪ガキのそれとはワケが違います。

あれは、無視され、存在しないものとして扱われることへの、悲痛なまでの抵抗だったのです。

「火影を超す!! ンでもって、里の奴ら全員にオレの存在を認めさせてやるんだ!!」

この有名なセリフも、壮大な夢というよりは「お願いだから、俺を見てくれ」という叫びに聞こえませんか?

親を知らず、体内に九尾の化け狐を封印されているという、あまりにも過酷な十字架。

彼の孤独は、読者の想像を絶するものでした。だからこそ、初めて自分を「化け狐」ではなく「うずまきナルト」として認めてくれた、うみのイルカの存在が決定的な意味を持ったのです。

たった一人でもいい。自分を認めてくれる存在がいる。

この原体験が、後に彼が多くの人々の心を動かす「繋がり」の物語の、全ての始まりだったと言えるでしょう。

「意外性No.1」という、泥臭い戦略

さて、ナルトの戦い方について見ていきましょう。

彼は決して器用な忍者ではありませんでした。印を結ぶ術は苦手だし、幻術耐性もほぼゼロ。

そんな彼が手にした武器は、「多重影分身の術」と「螺旋丸」。

冷静に考えれば、物量で押し切る脳筋戦法です。

しかし、ナルトの真骨頂はここから。彼はこの限られた手札を、常人には思いもつかない方法で使いこなしていくのです。

落ちこぼれだからこその発明

螺旋丸に性質変化を加える修行、覚えていますか?

本来なら何年もかかる修業を、彼は「影分身の経験値は本体に蓄積される」という特性を利用して、数日でマスターしてみせました。

ペイン戦で仙人モードのチャクラを補充するために、あらかじめ妙木山に影分身を待機させておく、なんて離れ業もやってのけました。

カカシがナルトを評した「意外性No.1のドタバタ忍者」という言葉は、単なるおふざけではなく、彼の戦術の本質を的確に捉えていたのです。

彼は天才ではなかった。だからこそ、誰よりも考え、誰よりも足掻き、自分だけの勝ち方を見つけ出した。その姿は、まさに努力の天才そのものでした。

サスケという名の鏡、もう一人の自分との対峙

『NARUTO』を語る上で、うちはサスケの存在は絶対に外せません。

ナルトのサスケへの執着は、時に友情という言葉だけでは説明がつかないほど、異常なものでした。ネットでは「サスケ病」なんて揶揄されるほどです。

なぜ彼は、そこまでしてサスケを追い続けたのか。

それは、サスケの中に「もう一人の自分」を見ていたからに他なりません。

「お前とオレが…逆だったかもしれねェ…」

家族を奪われ、復讐に生きるサスケ。

家族を知らず、承認を求めて足掻くナルト。

二人とも、根底には同じ「孤独」がありました。ただ、その孤独との向き合い方が違っただけ。

ナルトにとってサスケを連れ戻すことは、親友を救うという行為以上に、「もし自分が闇に堕ちていたら」という可能性を否定し、自分自身の孤独をも救済するための戦いだったのかもしれません。

だからこそ、終末の谷での最後の戦いは、単なるライバル対決ではなく、二つの生き様のぶつかり合いとして、俺たちの胸を打ったのです。

英雄のその先へ。「火影」という新たな孤独

ペインを倒し、里の英雄となったナルト。

第四次忍界大戦を終結させ、ついに彼は幼い頃からの夢であった「七代目火影」に就任します。

まさにハッピーエンド。物語はここで終わってもよかったはずです。

しかし、物語は『BORUTO』へと続きます。そして、そこで描かれたのは、夢を叶えた英雄の、あまりにも人間臭い現実でした。

火影の仕事は、ナルトでなければ過労死間違いなしの激務。

大量の影分身を駆使して里のために尽くす一方、かつて自分が何よりも渇望したはずの「家族」と過ごす時間はほとんどありません。

息子であるボルトからは「クソオヤジ」と反発され、娘のヒマワリの誕生日にも影分身で対応してしまう始末。

これは、あまりにも皮肉な結末ではないでしょうか。

里のみんなに認められる「火影」になった結果、一番身近な家族との絆が疎かになってしまう。

しかし、これこそが『NARUTO』という物語の深さなのだと俺は思います。夢を叶えることがゴールではない。その先にも、人生は続いていく。

英雄になっても、火影になっても、うずまきナルトは不器用で、悩み、失敗する一人の“人間”であり続けるのです。

「孤独」と「泥臭さ」そんなナルトが持つ魅力

うずまきナルトの魅力。それは、彼の超人的な強さではなく、どこまでも人間臭い「弱さ」と「泥臭さ」にあるのではないでしょうか。

落ちこぼれだったから、努力する者の気持ちがわかる。

孤独だったから、人の痛みがわかる。

「まっすぐ自分の言葉は曲げねえ…それがオレの…忍道だ!!」

このシンプルな忍道を、彼は人生の全てを懸けて証明してくれました。

どんな逆境に立たされても、決して諦めず、自分の信じた道を突き進む。

その不器用で、まっすぐな生き様は、現実世界で様々な理不尽と戦う俺たちの心に、今もなお熱い火を灯し続けてくれます。

だからこそ、このナルトというキャラクターは大人気ジャンプ漫画の主人公になりえたのでしょう。

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