チェンソーマン 2部が『つまらない』と言われる理由|賛否の4つの論点を整理する
- 2026.04.12
- チェンソーマン
で、本音のところ、どうなの?『チェンソーマン』第2部が始まってから、SNSや感想サイトで「面白くない」「1部のほうがよかった」「空気が違う」という声がちらほら聞こえてくる。一方で「むしろ2部のほうが好き」という読者もしっかり存在する。この温度差は何なのか、賛否の具体的な理由を、貶めで終わらせずに整理してみる。
目次
先に結論:2部の賛否は「読者が1部に何を求めていたか」で決まる
ぶっちゃけ、2部の評価が割れる最大の原因はここだ。1部のどこを「面白い」と感じていたかが読者によって違うので、2部で継続されている要素と変更された要素の受け取り方が真逆になる。
この記事では、賛否の具体的な論点を4つに分けて整理する。そして最後に、それでもなぜ『チェンソーマン』という作品を読み続ける価値があるのかを、カケルの本音で書く。
論点1:デンジが「主役の座」から降りたこと
まず、2部で最も大きな変更点は、主人公がアサという新キャラクターに変わったように見える構造だ。正確にはデンジもメインキャラとして登場し続けるが、物語の視点人物としての役割はアサ(戦争の悪魔・ヨル)が担うことが増えた。
「デンジの内面を読みたい派」の不満
1部の魅力の核心が「デンジという欲望に忠実なバカ」の視点で物語を進めていく体験にあったと感じていた読者にとって、2部でデンジが一歩引いた存在になったことは大きな喪失だ。「結局デンジの話を読みたい」という本音は、賛否の中でも最も多い声の一つだと思う。
「新しい視点が来たから面白い派」の肯定
一方で、1部の後半でデンジが既にある種の「完成」をしてしまったと感じていた読者もいる。あの時点のデンジでさらに物語を引っ張ると、どうしてもパターンの反復になる——そう考えていた読者にとって、アサという「チェンソーマンを憎むチェンソーマンファン」という捻じれた立場のキャラクターの登場は、むしろ新鮮な扉を開く出来事だった。
カケルの見立てを正直に書くと、どちらの読み方も作品を愛している人の反応として正しい。ここに優劣はない。
論点2:バトルの方向性が変わったと感じる理由
2部では戦闘の描写の「毛色」が変わったという声がよく聞かれる。これは錯覚ではなく、意図的な変化がある。
1部は「異様なルールの戦い」が主軸だった
1部の戦闘、特に後半の銃の悪魔戦や支配の悪魔戦は、力比べではなく「異常なルールに気づけるか」の勝負だった。読者は戦闘を追いながら、作者が仕込んだルールを読み解く推理的な楽しみを得ていた。
2部は「キャラクターの心理」に比重が移っている
2部の戦闘は、ルール推理型の緊張感よりも、アサとヨルの二重人格の葛藤や、デンジの日常と戦闘の落差といった心理的な描写に比重が置かれている。これを「戦闘の面白さが減った」と受け取る読者もいれば、「より人間を描くようになった」と評価する読者もいる。
この違いは、1部で藤本タツキが「描くべきもの」をある程度やり切ってしまったことへの、作家としての応答だとカケルは読んでいる。同じことを繰り返す選択肢もあったはずだが、そこを避けた判断は、少なくとも作家として誠実な選択だと思う。
論点3:日常シーンの比重が増えたことへの違和感
2部の特徴として、戦闘より学園や日常の描写に尺が割かれている回が目立つ。この点についても賛否の温度差がはっきりしている。
テンポダウンに感じる派の言い分
1部のチェンソーマンは、1話ごとに何かが起こる圧縮されたテンポが持ち味だった。2部では学校での日常、友人関係、好きな人への想い——といった青春漫画的な要素が増えており、「読みたかったチェンソーマンはこれじゃない」という感覚になる読者がいる。気持ちは分かる。
日常があってこそ非日常が際立つ派の言い分
一方、日常シーンの厚みがあるからこそ、戦闘や悪魔が現れた瞬間の落差が強烈に効くという読み方もある。1部のデンジは日常そのものが剥奪された状態から始まっていたが、2部のアサは日常の中に悪魔を抱え込んでしまった人物だ。作品が扱う「恐怖」の種類そのものが変わっていると言ってもいい。
この変化をネガティブに取るかポジティブに取るかは、先述の通り「読者が1部に何を求めていたか」に依存する。
論点4:藤本タツキの作風変化という視点
もう一つ重要な論点として、2部の評価を左右しているのが「藤本タツキ自身の作風の変化」への好感度だ。
『ルックバック』『さよなら絵梨』の影響
藤本タツキは1部連載終了後、『ルックバック』『さよなら絵梨』という読み切り作品を発表した。これらの作品は、チェンソーマン1部とは異なる、より内省的で、創作者の葛藤や記憶・虚構の境界を扱う方向性だった。この短編群で評価を上げた読者と、そうでない読者で、2部の印象は大きく変わる。
2部には短編の経験が確実に反映されている
2部を読んでいて「画面の静かなシーンの重み」や「メタ的な演出」が増えたと感じるのは錯覚ではない。作家として新しい引き出しを持った人間が書いているから当然そうなる。これを進化と取るか、方向性のズレと取るか——ここも評価が割れるポイントだ。
カケルは個人的に「作家が同じ場所に留まり続ける義務はない」と思っている派だ。ただ、長く連載を追ってきた読者が1部の空気を懐かしむ気持ちを否定する気もない。両方あっていい話だと思う。
まとめ:2部の賛否は、作品の進化と読者の期待の交差点にある
『チェンソーマン』第2部の賛否を整理すると、結局のところ4つの論点に集約される。
- 主人公の視点がデンジから移ったことへの違和感
- 戦闘の方向性がルール推理型から心理描写型に変わったこと
- 日常シーンの比重が増えたことへの評価差
- 藤本タツキ自身の作風変化への好感度
どの論点も「作品が悪い」という話ではなく、1部で何を愛していたかによって2部の受け取り方が変わるという構造的な問題だ。1部と2部を別物として読み直すと、2部にも2部なりの強度がちゃんとある。それに気づいた瞬間、モヤモヤは「別の種類の面白さ」に変わる。
でもね、これがあるから『チェンソーマン』は面白いんだ。同じ形を繰り返さない作家が、同じ世界観の中で別の物語を書こうとしている——この挑戦自体が、少年漫画の歴史の中で極めて貴重な出来事だと思う。賛否があるのは、作品が挑戦している証拠でもある。1部が好きだった人も、一度「2部は別の作品だ」と思って読み直してほしい。違う扉が開くはずだ。
正直、カケルも最初の数話は「あれ、空気が違う」と戸惑った。でも読み返したら、藤本タツキは1部と2部でまったく別の恐怖を描こうとしていることに気づいた。それが分かってから、2部が好きになった。最初の違和感を認めることから始まる読み方もある。
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