刃牙道とバキ道の賛否はなぜ割れるのか

【ネタバレ注意】本記事には『刃牙道』『バキ道』の結末を含むネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。

で、本音のところ、どうなの?

刃牙シリーズの後期2作、『刃牙道』と『バキ道』。この2作だけ、読者の評価がきれいに割れます。ぶっちゃけ、割れる理由はちゃんとあります。ただし「手を抜いたから」ではありません。賛否のポイントを3つの論点に分けて、両方の言い分を整理していきます。

で、『刃牙道』の何がそこまで引っかかったのか?

まず前提の確認から。『刃牙道』は週刊少年チャンピオンの2014年16号から2018年19号まで連載されたシリーズ第4部です。単行本は全22巻、全198話です(秋田書店の公式作品ページ)。徳川光成の主導で現代に復活したクローンの宮本武蔵が、現代の格闘家たちと戦う——これが軸になっています。

で、賛否です。引っかかりポイントは大きく3つあります。

1つめは、長年のキャラクターの退場。単行本8巻で烈海王が武蔵に敗れ、命を落とします。第1部から20年以上出続けてきたキャラです。「作品が本気だと伝わった」という受け止めがある一方で、「喪失感だけが残った」という声も根強い。ここが最初の分岐点でした。

2つめは、本部以蔵の扱いです。それまで解説役の位置にいた本部が、武蔵を退けるところまで一気に格上げされます。修行描写を挟まずに強さが更新されたことに、違和感を覚えた読者は少なくありません。逆に「地味な実戦論者がようやく報われた」と喜んだ層もいます。ここも真っ二つです。

3つめは、最終回。武蔵との決着は、刃牙が押し切る形でもなければ、明確な勝敗の宣告でもありませんでした。幕を引いたのは、そもそもクローンの肉体に口づけで武蔵の魂を降ろした霊媒師——徳川光成の姉・寒子です。同じ口づけで魂を抜き取り、残された亡骸が送り出されて物語は閉じます。「大不評」と題した感想記事が今も検索結果に並ぶのは、この幕引きが理由です。

気持ちは分かります。4年かけて積み上げた対決が、格闘の文脈の外側で終わったわけですから。

『バキ道』の違和感は、どこから来ているのか?

『バキ道』は2018年45号から2023年29号まで連載されたシリーズ第5部。単行本は全17巻です。テーマは相撲。相撲の祖である野見宿禰の称号を継ぐ者が現世にいた、という設定から始まります。公式のあらすじでは「脆くて壊れやすい炭素の塊をこの世で一番硬い物質であるダイヤモンドに変える超絶握力を持つ男」「日本最古にして最強の『相撲』の神」と紹介されています。

わかる、あれはね……引っかかるのは「相撲が強すぎる」ことそのものではないんです。

刃牙シリーズは、地下闘技場という表に出ない世界の強さを30年近くかけて積み上げてきました。そこに、大相撲という完全に表舞台の競技が、同じ土俵の強さとして差し出される。この接続に読者がついていけなかった、というのが違和感の正体に近いと思います。

もう1つが、宿禰というキャラの印象の変化です。1巻の時点では得体の知れなさが魅力でした。飄々として礼儀正しく、シリーズにいなかったタイプ。ただ巻が進むにつれてその像がぶれていった、という感想は多く見かけます。

数字の面も触れておきます。『刃牙道』は約4年で22巻、『バキ道』は約4年8か月で17巻。年あたりの刊行ペースにすると5.4巻と3.6巻で、1.5倍の開きがあります。休載を挟みながらの連載だったぶん、話の流れが読者の中で途切れやすかった。これは作品の質とは別の、読み味の問題です。

じゃあ、批判は妥当なのか?

ここが本題です。結論から言うと、妥当な部分と、前提のズレから来ている部分の両方があります。

まず押さえたいのは、後期2作が「トーナメントで最強を決める話」を意図的に降りていることです。第1部の最大トーナメント、第3部の親子喧嘩まででその形式は一度やり切っています。同じ構造を繰り返せば「またか」と言われるのは目に見えていました。

『刃牙道』が持ち込んだのは、現代の格闘技は江戸初期の剣豪が到達した地点を超えたのか、という問いです。勝敗表を作る話ではなく、比較できないものをぶつける話でした。だから最終回も勝敗の宣告にならなかった。狙いとしては一貫しています。

『バキ道』も同じ方向です。地上最強は誰かではなく、まだ知らない強さの体系があるのではないか。公式が宿禰を「日本最古」と紹介しているとおり、相撲は最も古い格闘の系譜だから選ばれたのでしょう。

ただ、正直に言うと。読者が求めていたのは問いではなく決着だった、という現実はあります。長期連載でファンの期待値が固まりきったあとに問いを投げるのは、相当リスクの高い選択でした。批判の多くはそのギャップから出ています。「面白くない」ではなく「思っていたものと違った」に近い。

だから、批判は感情としては妥当です。ただし「作品が壊れた」という評価とは別物だと私は思っています。

本音のところ、筆者はこう見ている

私は『刃牙道』も『バキ道』も、実験作だと思って読んでいます。

そう考えると評価軸が変わります。第3部までを「完成された娯楽」だとすれば、後期2作は「完成した型を自分で壊しにいった記録」です。壊す作業は、たいてい格好悪く見えます。烈海王の退場も、本部の格上げも、口づけの結末も、既存の型からはみ出した瞬間に起きている。

もちろん、はみ出せば必ず良いわけではありません。宿禰まわりのパワーバランスは、私も何度か読み返して頭の中を整理する必要がありました。読者が置いていかれた場面があったのは事実です。

ただ、35年続いた連載で同じことを繰り返さなかった、という一点は評価したい。安全運転を選んでいれば賛否は割れなかったはずです。割れたということは、動いたということでもある。

どちらの言い分が正しいかは、たぶん決まりません。どう感じるかは読む人次第です。

それでも刃牙シリーズが面白い理由

『刃牙道』と『バキ道』の賛否を整理してきました。争点は、決着のつけ方、パワーバランスの接続、そして期待値とのズレ。この3つに集約されます。

でもね、これがあるから刃牙シリーズは面白いんです。本編5部だけで単行本149巻(外伝を除く)。そこまで積み上げてなお、作者は次の一手で読者を戸惑わせにくる。安心して読める作品なら、ここまで長く語られていません。

シリーズは第6部『刃牙らへん』として今も続いています(第7巻は2026年7月8日発売)。今度は誰が何に戸惑わされるのか。それを確かめに行けること自体が、このシリーズの贅沢だと思います。


辛口で行くつもりが、また最後に愛が漏れました。本音を言うと、宿禰の握力の話だけで1本書きたい。この作品、派生で書きたいテーマがすでに5本分たまっています。

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