「ジョジョ1部はつまらない」は本当か?――シリーズ最高の前日譚を食わず嫌いする君に捧ぐ

「ジョジョを読みたいんだけど、1部で挫折した」

ネットの海を漂っていると、そんな悲痛な叫びを本当によく見かける。

わかる。めちゃくちゃわかるぞ、その気持ち。

あまりにも有名な3部以降のスタンドバトルを期待してページをめくれば、そこに広がるのは波紋という名の仙道パワーと、ムキムキの男たちが繰り広げる暑苦しいバトル。

「なんか…思ってたのと違う…」と感じてしまうのも無理はない。

「古臭い」「スタンドがない」「主人公が地味」。そんな声に押されて、第1部「ファントムブラッド」を飛ばし読みする人も少なくないと聞く。

だが、断言しよう。それはあまりにも、あまりにももったいない。

第1部は、ジョジョという100年以上にわたる壮大な物語の「礎」であり、最高の「プロローグ」なのだ。

今日はなぜ1部が「つまらない」と言われてしまうのか、その構造を解き明かしつつ、その奥に眠る真の魅力を語り尽くしたい。

なぜ僕らは1部で挫折してしまうのか?「つまらない」と言われる3つの理由

まず、俺たちがなぜ1部でつまずいてしまうのか。その理由を直視することから始めよう。

ネット上の意見を分析すると、批判の根本原因は大きく3つに集約されるように思う。

理由1:抗えない「時代の壁」という名の古臭さ

1987年連載開始。この数字が全てを物語っている。

当時の週刊少年ジャンプといえば、そう、『北斗の拳』や『魁!!男塾』が覇権を握っていた時代だ。

熱血、友情、努力。そして、とにかく濃い絵柄とセリフ回し。

第1部は、良くも悪くもその時代の空気を色濃くまとっている。

「北斗の拳とか男塾のコピーだから語録以外の部分はかなり古くさく感じる」

5chあたりで散見されるこの意見は、的を射ている部分もあるだろう。

現代の洗練された漫画表現に慣れた目から見れば、既視感を覚えてしまうのは構造的な問題なのだ。

理由2:「ジョジョ=スタンド」という巨大すぎる呪縛

世間一般のイメージにおいて、「ジョジョ」と「スタンド」はもはや同義語だ。

だからこそ、多くの初心者はトリッキーで予測不能なスタンドバトルを期待して読み始める。

しかし、1部にあるのは「波紋」だけ。太陽のエネルギーを使った生命の呼吸法だ。

これがまた、スタンドバトルに慣れた現代っ子には、正直かなり地味に映る。

「結局殴ってるだけじゃん…」と感じてしまうのも仕方がない。

3部の「スタンド」という発明があまりに偉大すぎた結果、相対的に1部の評価を下げてしまうという、皮肉な現象が起きているのだ。

理由3:あまりにも真面目すぎる主人公、ジョナサン・ジョースター

ジョナサン・ジョースター。あまりに真面目、あまりに紳士。

「君がッ!泣くまで!殴るのをやめないッ!」

こんなセリフを大真面目に言えてしまう男だ。

後の部のトリックスター的なジョセフや、クールな不良の承太郎といった、クセが強すぎる歴代主人公たちと比べると、その善良さが逆に印象を薄くしてしまっているのかもしれない。

「主人公を好きにさせる努力がまるで感じられない」

ネットで見かけたこの辛辣な一言には、思わず苦笑してしまった。

確かに、彼の魅力は少し分かりにくい。だが、それこそが後々、ボディブローのように効いてくるのだが…その話はまた後でしよう。

それでも「1部は最高」と言い切れる理由。飛ばし読みは人生の損失だ

さて、ここまで1部が抱える「とっつきにくさ」を解説してきた。

「ほら、やっぱりつまらないんじゃないか」と思ったあなた。ここからが本題だ。

これらのネガティブな要素をすべて飲み込んだ上で、なお1部が放つ圧倒的な輝きについて語らせてほしい。

全ての根幹をなす「人間讃歌」という黄金のテーマ

もし、ジョジョシリーズ全体を貫くテーマは何かと問われれば、俺は迷わずこう答える。

それは「人間讃歌」だと。

「人間讃歌は『勇気の讃歌』ッ!!人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!」

ウィル・A・ツェペリが、その命と引き換えにジョナサンに叩き込んだこの言葉こそ、ジョジョの「背骨」だ。

絶望的な状況でも、恐怖を乗り越えて一歩踏み出す勇気。人間の持つ気高さ、誇り。

この黄金の精神が、最もピュアな形で結晶化しているのが、何を隠そう第1部なのだ。

このテーマを知っているかどうかで、2部以降のシーザーや、ジャイロ・ツェペリの生き様、死に様の感動はまったく別物になる。

これぞ原点。ジョースター家とディオ、100年を超える因縁の始まり

ジョジョは、ジョースター家という一族の数奇な運命を描いた大河ドラマだ。

そして、その全ての元凶であり、シリーズ最大の宿敵として君臨するのがディオ・ブランドー。

なぜジョースター家は戦い続けなければならないのか?

なぜディオはこれほどまでに邪悪で、そして魅力的なのか?

その答えの全てが、第1部にある。

ジョナサンとディオ、光と闇のように対照的な2人が出会い、その因縁が生まれる瞬間を目撃することなくして、ジョジョの物語を本当に理解することはできない。

第1部は壮大な物語の「最高のプロローグ」なのだ。プロローグを飛ばして本編が楽しめるだろうか?いや、楽しめない。

再評価されるべきジョナサンの「真の紳士」という魅力

「地味」と評されがちなジョナサンだが、彼の魅力は「高潔さ」にある。

彼は計算高く立ち回ったり、相手を出し抜いたりしない。

たとえ相手がどれほど強大で邪悪でも、正義のために、愛する人のために、真正面から立ち向かう。

その姿は、損得勘定が渦巻く現代社会に生きる我々には、眩しすぎるとさえ言えるだろう。

一部の女性ファンから「少女漫画的」と評されるのも頷ける。彼の無償の愛と自己犠牲の精神は、時代を超えて人の心を打つ力を持っているのだ。

まだ間に合う!「ファントムブラッド」の新しい楽しみ方

「理屈はわかった。でもやっぱりあのノリはキツい…」

そんなあなたに、2つの処方箋を提案したい。

処方箋①:まずアニメ版から入る

2012年に放送されたTVアニメ版『ジョジョの奇妙な冒険』。これがとんでもない傑作なのだ。

原作へのリスペクトを最大限に払いながら、現代的なテンポ感とド迫力の演出で、1部の物語を見事に再構築している。

全9話というコンパクトさも魅力で、原作のどこか冗長に感じられた中盤(タルカス・ブラフォード戦あたりだ)も、スピーディーに展開してくれる。

「原作で挫折したけどアニメは最後まで見れた」「アニメで1部の面白さに気づいた」という声は非常に多い。

騙されたと思って、まずはアニメを1話見てみてほしい。

処方箋②:「バトル漫画」ではなく「ゴシックホラー」として読む

これは少し視点を変えた楽しみ方だ。

1部を「少年ジャンプのバトル漫画」という先入観を捨てて、「19世紀末のイギリスを舞台にしたゴシックホラー」として読んでみるのはどうだろうか。

人間の心の内に潜む悪意を体現したディオ。

人間を超越した存在へと変貌させる石仮面の不気味さ。

切り裂きジャックや屍生人(ゾンビ)といった、ホラー好きにはたまらない要素も満載だ。

荒木飛呂彦先生のルーツにはホラー映画があると言われているが、そのエッセンスが最も色濃く出ているのが1部なのかもしれない。

期待するジャンルを少しズラすだけで、見えてくる景色はガラリと変わるはずだ。

最後に

「ジョジョ第1部は飛ばしても良い」という意見は、ある意味では効率的な考え方かもしれない。

だが、それはメインディッシュの前に、最高の食材で作られた極上の前菜を味わわないようなものだ。

古臭さも、地味さも、全てが後の壮大な物語への完璧な「フリ」として機能している。

もしあなたが、かつて1話で本を閉じてしまった一人なら、もう一度だけチャンスをくれないだろうか。

そこには、全てのジョジョファンが通るべき、気高く、そしてどこまでも切ない「始まりの物語」が待っているのだから。

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