マッシュル 賛否を本音で整理する3つの論点

で、本音のところ、どうなの?

『マッシュル-MASHLE-』が完結してから、もう少しで3年が経つ。話題作だったのは間違いない。けれど、検索窓を覗くと「ギャグに振りすぎ」「ハリポタ寄せすぎ」「終盤が駆け足」というモヤモヤがいまだに残っているのも事実だ。

正直に言うと、どの論点も「気持ちは分かる」ものばかり。今回はその3つを、貶めずに本音で整理してみたい。

ギャグ路線、本当にバトル要素を殺していたのか?

まず一番よく見かける違和感が「ギャグに振りすぎてバトルが薄い」というもの。気持ちは分かる。マッシュが筋肉で魔法をブチ抜くたびに緊張感がほどけるのは事実だし、シリアスな表情の直後にシュークリームの話題が挟まれるのもこの作品の常套手段だ。

ただ、これは設計ミスではなく狙いだったと見るのが妥当だと思う。理由は3つある。

理由1: 「無詠唱の魔法使い」というネタの構造そのものがギャグ前提

主人公マッシュ・バーンデッドは魔法印を持たない=魔法が使えないキャラ設定だ。にもかかわらず魔法学校に潜り込み、筋肉だけで魔法と対峙する。この構造を真剣に描けば描くほど、読者の頭には「いや筋肉でなんとかなる方がおかしいだろ」というツッコミが残る。

その違和感を作中で先回りして笑いに変換する。それが「マッシュ・マッスル」シリーズの役割だ。ギャグを抜いたらこの設定の不自然さがむき出しになる、というジレンマがそもそも作品の根幹にある。

理由2: バトル「だけ」の作品は飽和していた

連載が始まった2020年前後の少年ジャンプは、シリアス長編バトル路線が分厚かった時期。同じ土俵で戦うより、ギャグでテンポを保ちながらバトルを差し込む方が新規読者を掴めた。実際、第1巻からアニメ化発表までのスピードを見ても、この差別化は効いていたと言える。

理由3: バトル描写も実は要所では押さえている

神覚者候補選抜試験編、特にイノセント・ゼロやアビス・レイザーが絡む場面では、コミカルなトーンを残しつつも普通にハラハラする展開を見せていた。「バトルが薄い」という印象は、ギャグの密度が高すぎて緊迫シーンが相対的に軽く感じる、という認知の問題に近い気がする。

とはいえ、「もっと純度の高いバトル漫画として読みたかった」という読者の願望も理解できる。そういう読者にとっては最後まで合わなかった、という結論に落ち着くのは自然だと思う。

ハリーポッター風世界観、オマージュとパクリの境目はどこにあるのか?

2つ目の論点。魔法学校、寮制度、箒で行う球技、闇の魔法使いとの対立。この骨組みがハリー・ポッターを下敷きにしているのは、誰の目にも明らかだ。

ぶっちゃけ、ここで「いやオリジナルだ」と擁護するのは無理がある。作者の甲本先生も寄せにいっているのは隠していない。問題は「それがダメなのか」という点だ。

論点1: 寄せ方が「茶化し」ではなく「土台」になっている

マッシュルのハリポタ要素は、嘲笑するための引用ではなく、読者が世界観を即座に理解できる共通言語として使われている。クィディッチ的な競技「ドゥエロ」が出てきた瞬間、ルール説明を最小限で済ませてキャラクターのドラマに入れる。これはオマージュの正攻法だ。

論点2: その上で、本筋は完全に別物

ハリー・ポッターは「血統と選ばれし者」の物語。一方マッシュルは「血統も才能も持たない男が、肉体だけで階級社会をひっくり返す」物語だ。骨組みは似ていても、テーマは正反対と言っていい。神覚者という頂点を、魔法を使えない者がぶん殴って奪い取る話。これはハリポタには絶対書けない展開だ。

論点3: それでも気になる人は気になる、これは仕方ない

とはいえ、原典への思い入れが強い読者ほど、似た構図そのものが気になってしまうのも分かる。「設定を借りた上で別物を描く」というやり方は、成功しても元ネタ側のファンからは複雑に受け取られがちだ。これは作品の良し悪しというより、読者側のスタンスによる。

結末は本当に駆け足だったのか、それとも丁度よかったのか?

3つ目、これが一番議論が割れる論点。連載は2020年1月から2023年7月までの約3年半、最終話は162話、単行本は全18巻で終わった。これを「綺麗にまとまった」と取るか「駆け足」と取るかでファンの反応が分かれている。

「駆け足」と感じる側の言い分

神覚者候補選抜試験編から最終決戦まで、強敵が次々と登場しては比較的早く片付いていった印象が確かにある。イノセント・ゼロ周りの背景設定、神覚者という制度そのものの掘り下げ、闇属性差別の歴史――これらをもっと腰を据えて描く余地はあった。

長期連載で世界観を深掘りしていく作品に慣れた読者ほど、「もっと読みたかった」という飢えが残るのは当然だ。気持ちは分かる。

「丁度よかった」と感じる側の言い分

一方で、3年半・18巻という長さは少年漫画として綺麗にまとまるレンジでもある。ダラダラ引き延ばして失速する作品が多い中、最後のデコピンで決着をつけ、エピローグでマッシュがパティシエの道を歩み出すまで描ききった構成は、むしろ作家として誠実だったとも言える。

連載作家が「自分の描きたい話を描きたい長さで終わらせる」のは、実はかなり難しい選択だ。引き延ばしを断った時点で、この終わり方は最初から想定されていた可能性が高い。

結局どっちが正しいのか

正直に言うと、どちらも正しい。長期連載の濃密さを期待した読者には足りず、テンポと完結を重視した読者には満点。同じ作品に対して、読者が何を求めていたかで評価が180度変わる、という典型例だと思う。

本音のところ、筆者はどう見ているか

3つの論点を整理してきたが、ぶっちゃけ筆者の立ち位置を明かしておきたい。

マッシュルは「設計の段階で勝負がついていた作品」だと思っている。ギャグとバトルの配合、ハリポタ寄せの世界観、3年半で畳む長さ。どれも狙ってやっていて、結果として狙い通りに着地した。だから議論される論点はあれど、「失敗した作品」では決してない。

むしろ、賛否が割れること自体が、この作品が読者に何かを残した証拠だと思っている。完全に無風で終わった連載作品より、「あれってどうだったんだろう」と検索される作品の方が、間違いなく価値がある。

とはいえ、「もっとシリアスに振ってほしかった」「もっと長く読みたかった」という不満を持つ読者がいるのも事実だし、それを否定する気は全くない。どう感じるかは、最後は読者次第だ。

それでもマッシュルが愛される理由

論点を3つ並べてきて、それでもこの記事を「マッシュルって結局微妙だったよね」で終わらせる気にはなれない。

マッシュ・バーンデッドという主人公の魅力は、本当にブレなかった。家族のために戦い、シュークリームのために戦い、最後は世界の頂点を筋肉で殴り倒す。その一貫した素朴さは、こねくり回した深い主人公にはない強さがある。

ランス、ドット、フィン、レモン――脇キャラの誰一人として消化不良で終わらなかったことも、地味だが大きい。アニメ2期のCreepy Nuts「Bling-Bang-Bang-Born」が国民的ヒットになったのも、作品の持つストレートな熱量が広く届いた証拠だと思う。

議論される論点を抱えながら、それでも多くの人の記憶に残った。だから筆者は、マッシュルを胸を張って「面白かった作品」として勧められる。


辛口の論点整理を3本立てで書いた直後に、結局「やっぱり好き」で締めるあたり、自分でも甘いなと思う。でもね、筋肉でハリポタ世界に殴り込みかける主人公なんて、もう一生忘れられないでしょう。

マッシュル MASHLEの記事

まだデータがありません。

コメント