ハイキュー最終回は駆け足?プロ編の賛否を本音で整理

で、本音のところ、どうなの?『ハイキュー!!』の最終盤、高校編からいきなりプロ編・オリンピック編へ飛ぶあの展開。「駆け足じゃない?」というモヤモヤ、ずっと言われてきましたよね。正直に言うと、筆者も最初は「えっ、もう?」と思った側です。でも結論から言えば、批判の気持ちはわかる一方で、あの跳躍にはちゃんと意味があった、というのが本音です。

【ネタバレ注意】本記事には『ハイキュー!!』最終巻(45巻・402話)までのネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。

そもそも「駆け足」って、どの部分のこと?

まず論点を整理しましょう。「駆け足」と言われているのは、ざっくり次の流れです。

高校最後の春高が終わったあと、物語は一気に時間を飛ばします。日向翔陽は卒業後すぐにプロへ行かず、約1年の準備期間を経てブラジルへ。そこでビーチバレーの武者修行を2年間行います。勧めたのは白鳥沢の監督・鷲匠です。

帰国した日向は、木兎光太郎や宮侑のいるMSBYブラックジャッカルへ。一方の影山飛雄は高校卒業後そのままVリーグのシュヴァイデン アドラーズに進んでいます。そして両者がプロの舞台で再戦し、さらに時間が進んだ東京オリンピックへ——という構成です。

つまり「駆け足」と感じる人が引っかかっているのは、主に3つ。

1つ目は、ブラジルでのビーチバレー編が思ったより短く感じること。2つ目は、高校バレーからプロ・五輪へと舞台が急に変わったこと。3つ目は、その変化の速さで感情移入が追いつかなかったこと。この3点が「あれ、急ぎすぎ?」というモヤモヤの正体です。

なぜ「急ぎすぎ」と言われるのか?

ここ、わかる、あれはね…という話なんです。ただのテンポの問題じゃない。

大きな理由として語られているのが、作者・古舘春一先生が当初「東京オリンピック2020」に物語の着地点を合わせて構想していた、という点です。日向と影山がプロを経て世界の舞台へ——というゴールに向けて逆算していた、と。

ところが新型コロナの影響で、その東京五輪が延期されました。リアルの予定がずれた結果、計画通りのスケジュールで描き切るのが難しくなり、終盤のテンポが詰まったように見えた、という見方です。これは作品単体の出来というより、外的な事情が絡んだ構造的な話ですね。

もう1つの理由は、読者の「期待値」とのギャップです。高校編であれだけ1試合を丁寧に、ときに何巻もかけて描いてきた作品が、最終盤では年単位で時間を飛ばす。同じ密度を最後まで期待していた人ほど、落差を「駆け足」と感じやすい。これは作品が積み上げてきた丁寧さの裏返しでもあります。

さらに、ブラジル編が独立した1つの長編として読みたかった、という声もあります。ビーチバレーという新ジャンルへの転向は、それだけで1作品分の物語性があった。だからこそ「もっと見たかった」が「短い・駆け足」という言葉になって出てくる。これは批判というより、愛ゆえの不満に近いんですよね。

じゃあ、その批判は妥当なのか?

気持ちは分かる。でも、ここで反対側の論点も並べておきます。賛成・反対の二択じゃなく、フラットに見るのが大事なので。

まず「打ち切りっぽい」という見方について。これはデータで反論できます。最終巻となる45巻は約230ページの大ボリュームで、無理に畳んだ薄さではありません。むしろキャラが成人したことでプレーの「動き」のダイナミックさが増している、という評価もあるくらいです。少なくとも「ページが足りずに終わった」タイプの幕引きではない。

次に「テーマがブレた」という指摘について。最終巻45巻の表紙は、ブラックジャッカルのユニフォームを着た日向と、アドラーズのユニフォームの影山が並ぶ構図で、これは1巻の表紙とほぼ対になっています。スタート地点と着地点をわざと重ねている。つまり舞台は変わっても、描こうとしている軸——日向と影山の関係——は最初から最後までブレていない、という設計です。

そして最大の反論は、跳躍の「先」にあるものです。高校時代、コートの上で勝つという約束を交わした2人が、プロとして別チームで再戦する。さらに五輪では、あの「変人速攻」がもう一度世界の舞台で炸裂する。時間を飛ばしたのは、この景色を見せるためです。地続きで描いたら、ここまで届かなかった。

本音のところ

正直に言うと、筆者の立場は「駆け足に感じるのは事実、でもそれは欠点とイコールじゃない」です。

ブラジル編をもっと読みたかった、という気持ちは痛いほどわかります。あの転向はそれだけの厚みがあった。だから「短い」と感じた人の感覚は、間違いでもわがままでもない。むしろ作品を愛していた証拠だと思うんです。

ただ、最終盤の時間跳躍を「失速」とまで言い切れるかというと、筆者はそこには乗れない。なぜなら、跳躍の理由(五輪に着地点を合わせた構想とその延期)も、跳躍が連れて行った先(1巻と対になる再会)も、ちゃんと筋が通っているから。テンポの好みと、構成の破綻は別の話です。

結局これは、「丁寧な高校編の続きを同じ密度で見たかった人」と「2人の約束の到達点を見せてくれたことに満足した人」とで、評価が割れているだけ。どっちが正しいというより、何を一番見たかったかの違いです。あなたはどっち側でしたか? ここはぜひ、自分の感覚で決めてほしいところです。

それでも『ハイキュー!!』が面白い理由

でもね、これがあるから『ハイキュー!!』は面白いんだ、と思うんです。

賛否が割れるということは、それだけ多くの人が「自分の理想の終わり方」を持てるほど、この作品に入れ込んでいたということ。どうでもいい作品の最終回で、人はここまで議論しません。

そして何より、8年半かけて積み上げた日向と影山の物語を、1巻の表紙と対になる地点まで運びきった。駆け足だろうとなんだろうと、あの再会の絵にたどり着いたこと自体が、この作品の強さです。読み返すたびに、やっぱり始まりと終わりが繋がってるなと唸らされます。


辛口に整理するつもりで書き始めたのに、45巻の表紙の話をした時点で完全に陥落しました。1巻と並べて飾りたくなるんですよ、あれは。

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