塔矢アキラはなぜストーカーと言われる?ヒカルへの執着と賛否

で、本音のところ、どうなの? 『ヒカルの碁』の塔矢アキラを検索すると「ストーカー」「性格が悪い」という言葉が並びます。正直に言うと、そう言いたくなる場面は確かにあります。ただ結論から言えば、アキラが追いかけていたのはヒカル本人というより、ヒカルの向こうにいる「得体の知れない強さ」でした。その事情を知っている読者ほど、見え方が変わるキャラなんです。

【ネタバレ注意】本記事には『ヒカルの碁』原作の佐為編(藤原佐為の結末を含む)のネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。

なぜ塔矢アキラは「ストーカー」と言われるのか?

まず前提から。『ヒカルの碁』はほったゆみ先生原作、小畑健先生作画で、週刊少年ジャンプに1999年から2003年まで連載された囲碁漫画です。コミックスの累計は2500万部(2013年時点の報道)。この作品の大きな柱が、ヒカルとアキラのライバル関係です。

アキラは名人・塔矢行洋の一人息子で、2歳から碁を学び、小学6年生ですでにプロ並みの実力を持っていました。そこへ碁会所で現れたのが、一度も対局したことがないと言う同い年のヒカル。実際は佐為の指示どおりに石を置いていただけなのですが、アキラはそれを知らずに完敗します。

ぶっちゃけ、ここから先の行動が「ストーカー」と呼ばれる理由です。物語の流れを整理すると、こうなります。

時期(巻数は目安) アキラの行動
出会い(1巻) 碁会所で負けた後、ヒカルを追って再戦し、また大差で負ける
中学囲碁部編(2〜4巻) ヒカルと打つために、本来は興味のなかった中学の大会への出場を決める。実力は大将格なのに、ヒカルと当たるため三将を希望する
ネット碁(4〜5巻) ネットの謎の打ち手「sai」にヒカルの影を感じ、プロ試験の初戦を不戦敗にしてまで再戦。ヒカルがいるネットカフェまで出向いて問いただす
院生(6〜11巻) ヒカルのプロ試験最終戦の相手・越智を指導しながら、越智本人よりヒカルのことばかり気にする

大会の登録で無理を通し、プロ試験の1局まで捨てる。作中でも、若獅子戦でヒカルに勝った相手が、ヒカルのことばかり聞いてくるアキラに腹を立てる場面があります。周りの人間すら引いているわけです。わかる、あれは冷静に並べると相当な執念です。

なぜ「性格が悪い」とまで言われるのか?

「ストーカー」と並んで目立つのが「性格 悪い」という声。こちらは、ヒカルへの態度の落差が大きいと思います。

出会いの直後、プロの厳しさを知らずに軽口を叩いたヒカルに、アキラは激しく怒ります。中学の大会では、念願の対局の途中からヒカルが自力で打ち始めると、その碁があまりに弱く、声を荒げて失望をぶつけ、その場を去ってしまう。その後、ヒカルが院生になると、今度は露骨に無視するようになります。

追いかけたかと思えば突き放し、また気にし始める。読者から見ると、相手の気持ちより自分の興味が優先に映る。ここが「メンヘラ」とまで言われてしまう部分でしょう。

もう一つは、海王中での振る舞いです。部の空気はアキラの入部でぎくしゃくし、一部の部員からは嫌がらせまで受けます。さらに、子どものころの囲碁教室では、父親に責められていたライバルの加賀に勝ちを譲ったことがあり、加賀はそれを深い屈辱として覚えていました。悪気はないのに、強すぎるがゆえに相手のプライドを傷つける。こういう場面が積み重なって、「性格が悪い」という印象につながっているんだと思います。

じゃあ、その批判は妥当なのか?

気持ちは分かります。でも、物語の仕組みを踏まえると、見え方はかなり変わります。理由は3つです。

1つ目は、アキラの直感が正しかったこと。アキラが負けた相手は、本当に平安時代の天才棋士・佐為でした。同世代に敵がいなかった天才が、説明のつかない強さに出会った。しかも本人は、対局したことがないと言う。追いかけない方が不自然です。

2つ目は、大会で見せた失望の正体。あの日のアキラが怒ったのは、ヒカルを見下したからではなく、自分が目標にしてきた相手が消えてしまったから、と読めます。その後アキラは、父の背中を目標にプロへ進みます。突き放したのは、自分の道を進むためでもありました。

3つ目は、執着が一方通行ではないこと。アキラに失望されたヒカルは、それを悔しがって院生になり、アキラを追いかけてプロを目指します。追う側と追われる側が入れ替わり続けるのが、この二人の関係です。

そして佐為が消えた後、ヒカルとアキラの公式戦での初対局。アキラは打ち筋の中に「sai」がいると感じ取り、ヒカルはそれを強い喜びとして受け止めます。誰にも見えなかった佐為の存在に、ずっとこだわり続けたアキラが触れた瞬間でした。あの執着がなければ、この場面は成立しないんです。

一方で、アキラが感じ取ったのはあくまで打ち筋の中の気配で、佐為という存在そのものを知ったわけではありません。「かわいそう」という検索が出てくるのも、そこに理由があるのかもしれません。

本音のところ

正直に言うと、アキラの行動を現実の人間関係に置き換えたら、かなり重いです。大会の登録で無理を通し、自分のプロ試験を1局捨ててまで相手を追いかける。そこにツッコミを入れたくなる読者の感覚は、まったく間違っていないと思います。

ただ、アキラが執着していたのは「ヒカルという人」というより「碁の強さ」そのものです。碁しか見ていない子どもが、初めて自分より強い同世代に出会った。その不器用さが、怒りや無視といった形で出てしまった。性格が悪いというより、碁以外の振る舞い方を知らない子だった、という見方もできます。

もちろん「それでも感じが悪い」と思う人がいてもいいし、そこが逆に「かわいい」と感じる人がいてもいい。どう受け取るかは読者次第です。

それでも塔矢アキラが愛される理由

でもね、これがあるから『ヒカルの碁』は面白いんだ、と思うんです。囲碁を知らない少年が、本物の天才に追いかけられ、その天才を今度は自分が追いかける。アキラの重すぎる執着は、ヒカルを碁の世界へ引き込んだエンジンそのものでした。

テレビアニメは2026年10月10日に放送25周年を迎え、公式Xアカウントも開設されています。25年たっても二人の関係が語られ続けるのは、あの執着が本物の熱だったからでしょう。


辛口でいこうと決めて書き始めたのに、気づけばアキラの擁護ばかりしていました。「越智から見たアキラ」で1本書けそうなのを、いま必死に我慢しています。

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