【ジョジョ七部】ジョニィ・ジョースターという、『最も人間臭いジョジョ』の魅力

「こいつ、本当に主人公か?」身勝手な生い立ち

『ジョジョの奇妙な冒険』の主人公といえば、あなたは何を思い浮かべるだろうか。

悪に立ち向かう不屈の闘志、仲間を思う自己犠牲の精神、そして何より血統に刻まれた「黄金の精神」。
ジョナサンから徐倫まで、歴代のジョースター家は皆、困難に立ち向かうヒロイックな存在として描かれてきた。

だが、第7部『スティール・ボール・ラン』の主人公、ジョニィ・ジョースターはその系譜から大きく逸脱した存在だ。

かつては天才ジョッキーとして名を馳せたが、傲慢さから映画館の列に割り込み、トラブルを起こし、銃で撃たれて下半身不随に。
栄光から転落し、世間から冷たい視線を浴びながら生きる、うらぶれた青年。それが彼のスタート地点だ。

しかも彼は過去の過ちをこう独白する。

「恋人がせがまなければオレは映画館なんかに行かなかった」

……いや、どう考えても割り込んだお前が悪いだろ!とツッコミを入れた読者は俺だけではないはずだ。
この驚くべき責任転嫁。歴代ジョジョが持ち得なかった、圧倒的なまでの「未熟さ」と「利己主義」。

多くの読者が最初に抱いたであろう「こいつ、本当に主人公か?」という戸惑い。
しかし、この人間的な弱さこそが、ジョニィ・ジョースターというキャラクターを唯一無二の存在たらしめ、SBRという壮大な物語の核となっているのだ。

自己中? いや、これは『渇き』の物語だ

ジョニィの旅の目的は、世界の平和でも、巨悪の打倒でもない。
ただ一つ、謎の男ジャイロ・ツェペリが操る「鉄球」の回転の秘密に触れ、再び自分の足で立つこと。

その執念を、彼はこう表現する。

ぼくはまだ「マイナス」なんだッ!
「ゼロ」に向かって行きたいッ!

失ったものを取り戻したい。輝いていた過去に、せめて「ゼロ」の状態に戻りたい。
この痛切なまでの渇きが、彼の全ての行動原理だ。

だから彼は、レースの裏で暗躍する大統領の陰謀や、テロリストとの戦いにも、当初は無関心だった。
彼の目的はあくまで「聖人の遺体」を集めて自分の足を治すこと。

誰が『正義』で誰が『悪』だなんて どうでもいいッ!!

このセリフは、彼のスタンスをあまりにも雄弁に物語っている。
目的のためなら手段を選ばない。時には非情な決断も下す。その覚悟に満ちた殺意は、作中で「漆黒の意思」と評された。

「黄金の精神」とは似ても似つかない、黒く、鋭く、ひたすらに自己へ向かう強い意志。
ともすれば自分勝手な輩だが、しかし、これほどまでに人間臭く、共感を誘う主人公がかつていただろうか。

綺麗事だけでは生きていけない。誰だって自分の幸せを願う。
ジョニィの剥き出しの欲望は、我々読者の心の奥底にあるエゴイズムを肯定してくれるような、不思議な魅力を持っているのだ。

ジャイロ・ツェペリという、唯一無二の相棒

そんな利己的なジョニィが、人間的に成長していく上で欠かせないのが、相棒ジャイロ・ツェペリの存在だ。

当初は鉄球の技術を盗むための対象でしかなかったジャイロ。
だが、過酷なレースを共に乗り越える中で、二人の間には奇妙で、しかし何よりも固い絆が芽生えていく。

それを象徴するのが、ジャイロのしょうもないギャグに対するジョニィのリアクションだ。

「ん~~!! なかなかオモシロかった かなり大爆笑!」

無表情で、淡々と、しかし最大級の賛辞(?)を送るジョニィ。
心がこもっているのかいないのか判然としないこのやり取りは、彼らの独特な関係性を見事に描き出している。

最初は自分のためだけに動いていたジョニィが、シュガー・マウンテンの試練では、遺体を諦めてまでジャイロを救う選択をする。
物語の終盤、友との永遠の別れが訪れた時に流した涙は、もはや「マイナス」から「ゼロ」を目指していた頃の彼のものではなかった。

他者を思いやり、誰かのために心を痛めることができる人間へと成長した証だった。
SBRが「ジョニィが歩き出す物語」であると同時に、彼が人間性を取り戻す「再生の物語」でもあったのだ。

鏡合わせの『ジョナサン』――もし初代ジョジョが聖人君子でなかったら

ここで少し深く考察してみよう。
ジョニィの愛称はあくまで「ジョニィ」であり、本名は「ジョナサン・ジョースター」

そう、彼はパラレルワールドにおける初代ジョジョ、あの清廉潔白な英国紳士ジョナサンと同一人物なのだ。
しかし、その内面はまるで鏡合わせのように正反対に描かれている。

  • 紳士的で誰をも慈しむ「黄金の精神」を持つジョナサン。
  • 目的のためなら他者を犠牲にすることも厭わない「漆黒の意思」を持つジョニィ。
  • 厳しくも深い愛情を注いでくれた父との良好な関係。
  • 優秀な兄ばかりを溺愛し、「神は連れて行く子供を間違えた」とまで言い放った父との確執。

この徹底的な対比構造は、何を意味するのか。
これは単なるパラレルワールドの別人というだけでなく、「もしジョースター家の人間が、恵まれた環境ではなく、挫折とコンプレックスの中で育ったらどうなるか?」という、作者・荒木飛呂彦による壮大な思考実験だったのではないだろうか。

生まれながらのヒーローではなく、欠点だらけの人間が、もがき苦しみながら「本物」になっていく。
ジョニィ・ジョースターというキャラクターは、ジョジョシリーズが持つ「人間讃歌」というテーマを、最も泥臭く、最もリアルな形で体現した存在なのかもしれない。

なぜ俺たちは、この『歩き出す物語』に心を揺さぶられるのか

ジョニィ・ジョースターは、完璧なヒーローではない。
彼は弱く、ズルく、どこまでも人間臭い。

だが、だからこそ我々は彼から目が離せない。
自分の「マイナス」を埋めるために必死に足掻き、旅の果てにかけがえのないものを見つけ、そして失い、それでも前へと進んでいく。

その姿は、人生という荒野を旅する我々自身の姿と重なる。
物語の最後に彼が呟いた感謝の言葉。それは、ジャイロへ向けたものであると同時に、彼の過酷な旅路を見届けた我々読者の心にも深く突き刺さる。

「ありがとう」…それしか言う言葉がみつからない…

最も不完全で、最も人間臭いジョジョが紡いだ「歩き出す物語」。
その軌跡は、きっとあなたの心にも、何かを残していくはずだ。

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