【DEATH NOTE】天才探偵「L」という男。その人間臭さと魅力

『DEATH NOTE』という作品を語る上で、絶対に避けては通れない存在がいます。そう、キラこと夜神月の最大のライバル、「L」です。
彼は単なる「天才探偵」という記号ではありません。不気味なほどの頭脳を持ちながら、その実態は極度の甘党で、変な座り方をするただの変人。このアンバランスさこそが、俺たちを惹きつけてやまない魅力の正体なのではないでしょうか。
今回は、そんな「もう一人の主人公」Lの人間性に深く迫ってみたいと思います。
常人には理解不能? Lを構成する奇妙な要素たち
Lのキャラクター性を語る上で、まず触れないといけないのは、その奇行の数々でしょう。
「L座り」と甘いもの中毒
椅子の上に膝を抱えて座る、あの独特な「L座り」。本人曰く、「この座り方でないと推理力が40%落ちる」とのことですが、正直、科学的根拠はゼロでしょう。でも、この理屈を超えたマイルールこそがLのLたる所以なのです。
そして、異常なまでの甘党っぷり。常にケーキや飴を口にしており、「頭を働かせるためには糖分が必要不可欠」と豪語します。あれだけ糖分を摂取して体重50kg(推定)を維持できるのは、彼の頭脳が凄まじいカロリーを消費している証拠なのでしょうか。羨ましい限りです。
他にも、物を親指と人差し指でつまむように持ったり、靴下を嫌って裸足のまま靴を履いたり。彼の行動一つひとつが、常識からかけ離れている。でも、その一つひとつが彼の天才性を際立たせる記号として、見事に機能しているわけです。
「美形じゃない」のに、なぜかセクシーな容姿
公式設定では「美形じゃない」とされているL。確かに、ボサボサの黒髪に、隈のすごい三白眼。姿勢も猫背で、お世辞にも爽やかとは言えません。
しかし、このアンニュイでどこか影のある雰囲気が、逆にミステリアスな魅力を醸し出している。無頓着に見えて、同じ服を何着も持っていて清潔、というギャップもたまりません。
ネット上では「Lはセクシー」という声が絶えませんが、それは彼の外見が、常人には踏み込めない知性の領域を可視化しているからなのかもしれませんね。
脳筋も真っ青なフィジカルエリート
引きこもりがちな外見に反して、Lの身体能力は異常に高い。テニスでは元ジュニアチャンプの月と互角に渡り合い、格闘技のカポエイラはビデオを見ただけでほぼマスターするという離れ業を披露します。
月との殴り合いのシーンでは、不意打ちを食らっても二度目は顔面で受け止め、びくともしない頑丈さを見せつけました。頭脳だけでなく、フィジカルでも主人公クラスのスペックを持っている。この「何でもできる感」が、彼のキャラクターをより一層、人間離れした存在に押し上げているのです。
Lが問いかける「正義」のカタチ
Lの魅力は、単なるキャラクター造形の妙だけにとどまりません。彼の存在は、『DEATH NOTE』という物語の根幹をなす「正義とは何か?」というテーマを深く掘り下げる役割を担っています。
「正義は必ず勝つということを」
これは彼の有名なセリフですが、彼が信じる「正義」は単純なものではありません。
キラとの決定的な違い、「悪の自覚」
夜神月は、デスノートによる大量殺人を「悪を裁く正義の行い」だと信じて疑いませんでした。彼の正義は独善的で、自分を神格化する危うさを孕んでいます。
一方、Lは違います。キラを捕まえるためなら、死刑囚を身代わりにしたり、盗聴や監視といった違法捜査も厭わない。しかし彼は、自分の行為が法を犯す「悪」であることをはっきりと自覚しているのです。
この「悪の自覚」こそが、キラとLを隔てる決定的な境界線でした。自分の手を汚す覚悟を持ちながらも、決してそれを正当化しない。その歪んだ潔癖さこそが、Lの掲げる「正義」の本質なのかもしれません。
目的のためなら嘘もつく、冷徹な策略家
Lは、仲間であるはずの捜査本部の人間すら平気で欺きます。FBI捜査官レイ・ペンバーの追っていた容疑者の中にキラがいる可能性を「5%です」と語りながら、内心では9割以上も確信していたエピソードは有名です。
原作者が「彼は嘘つきですから」と語るように、Lは目的のためなら手段を選ばない冷徹な策略家。このドライで人間味のない一面もまた、彼の魅力の一つと言えるでしょう。甘いものが好きな子供っぽい部分と、この非情なまでの合理性が同居している。そのギャップに、俺たちは翻弄されるのです。
Lの死が物語に遺した、あまりにも大きな爪痕
物語の中盤で訪れるLの死は、連載当時、多くの読者に衝撃と喪失感を与えました。キラ(月)の策略にはまり、レムによって名前を書かれ、最期に見たのは月の邪悪な笑顔…。あのシーンの無念さは、今思い出しても胸が締め付けられます。
アニメ版25話、伝説の「神演出」
特にアニメ版第25話『沈黙』で追加されたオリジナルシーンは、Lの最期をより一層、感傷的で美しいものに昇華させました。
土砂降りの雨の中、ビルの屋上で一人佇むL。彼を迎えに来た月に対し、Lはこう問いかけます。
「生まれてから一度でも本当のことを言ったことがあるんですか?」
そして、自分の死期を悟ったかのような「…淋しいですね もうすぐお別れです」というセリフ。屋内に戻り、Lが月の濡れた足を拭うシーンは、キリストを裏切ったユダの足をイエスが拭う「洗足式」のオマージュであることは明らかです。
この一連の演出は、Lと月が単なる敵対者ではなく、どこか歪な形で結びついていた唯一無二の存在であったことを示唆しています。公式による最大級の供給に、当時、多くのファンが涙したことでしょう。
メディアミックスが描いた「もう一つのL」
Lというキャラクターは原作を飛び出し、様々なメディアミックスで新たな魅力を開花させました。
「超L!」松山ケンイチが体現した実写の奇跡
実写映画版でLを演じた松山ケンイチは、まさにハマり役でした。原作者の小畑健先生に「超L!」と言わしめたその姿は、見た目だけでなく、仕草や雰囲気までもが完璧なLそのもの。
映画版の結末は、原作ファンからも高く評価されています。自らの名前をデスノートに書くことで寿命を固定し、レムによる殺害を無効化。相打ちという形ではあれ、己の命と引き換えにキラを打ち破るという展開は、Lの執念を見事に描き切った「もう一つの正解」と言えるのではないでしょうか。
賛否両論のドラマ版、新しいL像への挑戦
一方、2015年のドラマ版では、原作とは大きく異なるL像が描かれました。高慢で生意気な性格、清潔感のある白い服装、そして月を「本当の友達」だと信じる純粋さ…。
この大胆な改変には賛否両論ありましたが、これもまた「L」というキャラクターの持つポテンシャルを探る一つの挑戦だったのかもしれません。まあ、正直なところ、もはや別人では…?という気もしますが、それはそれで一つの解釈として楽しむのがオタクの嗜みというものでしょう。
まとめ:不完全だからこそ、愛される天才
Lは、完璧な天才ではありません。彼は幼稚で負けず嫌いで、コミュニケーション能力に難があり、平気で嘘もつきます。
しかし、その不完全さ、アンバランスさ、そして内に秘めた確固たる信念と人間臭さこそが、Lというキャラクターを唯一無二の存在にしているのです。
彼の存在があったからこそ、『DEATH NOTE』は単なる頭脳戦サスペンスを超え、正義と悪の境界線を問う深遠な物語へと昇華しました。
今夜あたり、角砂糖を山ほど入れたコーヒーでも飲みながら、この奇妙で愛すべき天才探偵の活躍を、もう一度見返してみてはいかがでしょうか。
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