【NARUTO】うちはマダラという、カグヤ以上に最も“ラスボス”だった男について

物語のラスボス。それは作品の顔であり、主人公たちが乗り越えるべき最大の壁です。

しかし、『NARUTO』の最終盤を読んだ多くのファンが、ある種の“消化不良”を覚えたのではないでしょうか。

そう、ラスボスの座を突如として大筒木カグヤに奪われた、うちはマダラの存在です。

公式のラスボスはカグヤ。それは紛れもない事実です。

ですが、今なお多くのファンの間で「真のラスボスはマダラだった」と語り継がれるのはなぜか。

今回は、その圧倒的なカリスマと、矛盾に満ちた人間臭さで俺たちを魅了した男、うちはマダラの魅力の本質に迫っていきたいと思います。

「どうあがいても絶望」を届けた、最高のエンターテイナー

規格外の戦闘狂

マダラの魅力を語る上で、まず外せないのがその圧倒的な戦闘力でしょう。

「血湧き肉踊ってこその戦いだ!!」

このセリフに象徴されるように、彼は戦いそのものを心から愉しむ生粋の戦闘狂です。

あまりに強すぎるが故に、彼の「戦い」の相手たり得るのは、生涯のライバルである千手柱間ただ一人。

その強さは、もはや「やりすぎ」の領域に達しています。

完成体須佐能乎の一振りで山々を薙ぎ払い、挙句の果てには宇宙から巨大な隕石を落下させる。

しかも、「二個目はどうする?」と軽いノリで連発しようとする始末。

この常軌を逸したスケール感は、読者に「勝てる気がしない」という絶望を叩きつけました。

しかし、不思議なことにその絶望は不快なものではなく、むしろ清々しさすら感じさせるのです。

彼が忍連合軍や五影を赤子のようにあしらう姿は、悪役としての華、いわば最高のエンターテインメントだったと言えるでしょう。

冷徹な策士の顔

ただの脳筋パワーキャラで終わらないのが、うちはマダラの恐ろしいところ。

彼は「月の眼計画」という壮大な野望を成し遂げるため、何十年という時間をかけて暗躍する狡猾な策士でもありました。

「人をコントロールするには 心の闇を利用するテクニックが必要だ」

この言葉通り、彼はリンの死を演出し、オビトの心の闇を利用して自らの代行者に仕立て上げます。

九尾襲来事件をはじめ、物語の数々の悲劇の裏で糸を引いていた実質的な黒幕。

まさに「だいたいこいつのせい」を地で行く存在です。

しかし、その最終目的が「誰も争わない、戦争で死ななくてよい世界を創り出す」ことであったという点が、物語に深みを与えています。

平和を願うが故に、全てを幻術の世界に閉じ込めようとする。この歪みきった正義こそが、彼を単なる悪役ではない、複雑なキャラクターたらしめているのです。

矛盾と執着が生んだ、強烈な人間臭さ

平和を夢見た少年

戦闘狂でありながら平和を願う。この矛盾の根源は、彼の生い立ちにあります。

戦乱の時代に生まれ、3人の弟を失ったマダラは「誰も死なない世界」を夢見ていました。

そこで出会ったのが、同じ夢を抱く千手柱間。

二人が少年時代の夢を叶え、木ノ葉隠れの里を創設したシーンは、物語屈指の名場面です。

マダラがぽつりと呟いた「……木ノ葉…隠れの里…てのはどうだ?」という言葉には、かつての純粋な願いが凝縮されていました。

では、なぜ彼はその夢を自ら壊す道を選んだのか。

それは千手一族への拭いきれない不信感と、南賀ノ神社の石碑を解読したことによる世への絶望でした。

「この世の全てにおいて光が当たるところには必ず影がある…平和を保ちたいとする利己的な意志が戦争を起こし 愛を守るために憎しみが生まれる」

彼のこの言葉は、皮肉にも『NARUTO』という作品の根幹をなすテーマそのものです。

彼は物語の敵役でありながら、誰よりもその世界の真理に近づいていたのかもしれません。

柱間コンプレックスという“愛すべき”一面

さて、ここからは少しゲスい話になりますが、マダラの人間臭さを語る上で欠かせないのが、千手柱間への異常なまでの執着です。

穢土転生で復活し、柱間のチャクラを感知した瞬間に見せた、あの凄まじい顔芸(通称:フルフルニィ)。

そして戦場で再会した柱間に向かって叫んだ、あの歓喜の雄叫び。

「待っていたぞォー!! 柱間アアアーーーーーッ!!!」

これには度肝を抜かれた読者も多いのではないでしょうか。

しかし、当の柱間からは「お前は後!」とあっさりスルーされてしまう。

あんなに楽しみにしていたのに…。あの時のマダラの、何とも言えない表情が忘れられません。

さらには、穢土転生後の胸元に浮かび上がった柱間の顔を、わざわざ「見せつけたかった」という理由だけで披露する始末。

最強・最悪の黒幕が見せる、たった一人のライバルに対する子供のような執着。

この強烈なギャップこそが、完璧超人に見えたマダラの人間味を最大限に引き出し、俺たちが彼をどこか憎みきれない理由なのでしょう。

なぜマダラは「真のラスボス」として記憶されるのか

物語の根幹を揺るがした存在

物語の最後に現れた大筒木カグヤ。彼女が強大な敵であったことは間違いありません。

しかし、彼女の登場はあまりにも唐突で、読者が感情移入する間もなく最終決戦に突入してしまいました。

一方で、うちはマダラはどうでしょう。

彼は「うちはと千手」「インドラとアシュラ」という、物語の根幹をなす因縁の象徴です。

彼の抱いた夢、挫折、そして憎しみが、ナルトとサスケの物語に直接的な影響を与え続けてきました。

つまり、マダラとの戦いは、単なる強敵とのバトルではなく、『NARUTO』という物語そのものとの対峙でもあったのです。

だからこそ、俺たちは彼の物語の結末を、最後まで見届けたかった。

あまりにも悲劇的な“駒”の結末

そして迎えた、彼の最期。

無限月読を発動させ、自らが「救世主」になったと信じた瞬間、信頼していたはずの黒ゼツに背後から貫かれる。

「黒ゼツ…お前は何を言っている!? お前を作ったのはオレだ…! お前はオレの意志そのものなんだぞ!」

「ソコモ違ウ…オレノ意志ハ─────カグヤダ」

全てを操ってきたつもりが、自分自身もまた、遥かに大きな思惑の上で踊らされる駒に過ぎなかった。

オビトに吐き捨てた「自分ダケガ違ウト思ウノハ烏滸ガマシクナイカ?」という言葉が、特大のブーメランとなって突き刺さる。

この皮肉に満ちた結末は、うちはマダラというキャラクターの悲劇性を決定づけました。

アニメ版で描かれた「柱間……オレは…何処で……間違えたんだ……」という後悔の言葉は、彼の抱えた孤独と悲しみを物語っていて、胸が締め付けられます。

うちはマダラは、圧倒的な力とカリスマで世界を絶望させた「悪の象徴」でした。

しかし同時に、少年時代の夢に破れ、生涯の友への執着を拗らせ、最後は信じた者に裏切られた、一人の悲しい男でもあったのです。

ラスボスの座はカグヤに譲ることになったかもしれません。

ですが、彼が『NARUTO』という物語に与えた衝撃と、その複雑で人間臭い生き様は、間違いなく俺たちの心に深く刻み込まれています。

だからこそ、今でもつい語ってしまうのではないでしょうか。

「NARUTOの真のラスボスは、やっぱりうちはマダラだった」と。

コメント