【鬼滅の刃】花柱・胡蝶カナエという“理想”の聖女は、なぜ妹しのぶを苦しめたのか?
『鬼滅の刃』という物語において、本編開始時点ですでに故人。にもかかわらず、その存在感は作中トップクラス。
蟲柱・胡蝶しのぶと栗花落カナヲ、二人の少女の人生を決定づけ、物語の根幹に深く関わる人物。それが元・花柱、胡蝶カナエです。
回想シーンに登場するたび、その慈愛に満ちた笑顔と聖女のような佇まいに、多くの読者が「カナエ姉さん…」と涙したことでしょう。
しかし、俺は思うんです。彼女のそのあまりにも清らかで、あまりにも崇高な「理想」こそが、最愛の妹しのぶを深く、深く苦しめたのではないかと。
今回は、儚くも美しい花柱・胡蝶カナエの魅力と、その内に秘められた危うさについて、少し深掘りして語っていきたいと思います。
「鬼は哀れな生き物」――炭治郎とは似て非なる“異端”の思想
まず、カナエの思想の根幹に触れないわけにはいきません。
彼女は主人公・竈門炭治郎と同じく、「鬼は哀れで悲しい存在である」と考えていました。
最期の瞬間ですら、自分を殺した鬼を哀れんでいたと、しのぶは語っています。
この考え方、炭治郎と似ているようで、その出発点が決定的に違います。
炭治郎は、妹が鬼になったことで「鬼の中にも守るべき存在がいる」ことを知り、鬼の悲しい匂いを感じ取ることで、彼らの過去に寄り添おうとしました。
しかしカナエは、両親を鬼に惨殺され、その上で「人だけでなく鬼も救いたい」という想いを抱いて鬼殺隊に入隊しています。
これには、あの温厚な岩柱・悲鳴嶼さんですら「本気で言っているなら正気とは思えない」とドン引きするレベル。はっきり言って、異端中の異端です。
姉の理想が生んだ、しのぶの“認知のズレ”
しのぶは姉の意志を継ぎ、「鬼とも仲良く」という夢を掲げ続けます。
しかし、ここで一つ、重要なポイントがあります。
生前のカナエは、鬼を「哀れ」とは言っても、「仲良くしよう」とは一言も言っていないのです。
これは、姉を失ったしのぶが、姉の理想を自分の中で拡大解釈してしまった結果なのではないでしょうか。
「姉さんならきっとそう言うはずだ」という想いが、いつしか「姉さんはそう言っていた」という記憶のすり替えを起こしたのかもしれません。
姉の理想を継がなければ。姉が好きだった「笑顔」でいなければ。
「まぁまぁそんなこと言わずに 姉さんはしのぶの笑った顔が好きだなぁ」
この何気ない姉の言葉が、しのぶにとっては逃れられない「呪い」となり、常に笑顔の仮面を貼り付けさせることになったのは、あまりにも皮肉な話です。
聖女の仮面の下の“武闘派”な一面
ここまでカナエの理想主義的な側面を語ってきましたが、彼女は決してただのお人好しではありません。
というか、むしろ結構な武闘派です。
妹しのぶとは違い、カナエは上背があり腕力もあったため、普通の刀で鬼の頸を斬ることができた優れた剣士でした。
その強さの一端が垣間見えるのが、ドラマCDで語られた縁日でのエピソード。
かつてカナヲを売った人買いの男に遭遇し、再びカナヲが攫われそうになった時、遅れて現れたカナエは、露店の担ぎ棒を借りて男を文字通りフルボッコにします。
そして、普段の穏やかな姿からは想像もつかない、ドスの利いた低い声でこう言い放つのです。
「今度カナヲやしのぶ達の前に現れたら容赦しない」
このギャップ、最高じゃないですか?
大切な家族を傷つける者には一切の慈悲を見せない。この厳しさと強さこそが、彼女が「柱」であったことの証明であり、人間・胡蝶カナエの真の魅力と言えるでしょう。
「キッカケさえあれば人の心は花開く」の真意
心を閉ざしたカナヲに、銅貨を投げて行動を決めるようアドバイスしたカナエ。
「キッカケさえあれば人の心は花開くから大丈夫」
この言葉は彼女の信念そのものです。
しかし、人買いフルボッコ事件と合わせて考えると、この言葉には続きがあるように思えてなりません。
それは、「ただし、そのキッカケを自ら掴もうとしない者、他者を害するだけの存在に、与える慈悲はない」ということ。
彼女の「鬼への哀れみ」も、もしかしたらこの信念に基づいていたのかもしれません。
鬼が元は人間であったことへの同情はあっても、彼らが犯した罪を許し、無条件に仲良くするつもりは、毛頭なかったのではないでしょうか。
オタクたちの心を燃やす「さねカナ」という名の沼
さて、カナエを語る上で避けては通れないのが、風柱・不死川実弥との関係です。
本編では直接的な絡みはほぼ描かれていませんが、公式ファンブックでとんでもない爆弾が投下されました。
悲鳴嶼さんから見て、不死川実弥は「カナエが好きらしい」と推測されていた、というのです。
…公式、ありがとう。俺たちの妄想は間違ってなかった。
ぶっきらぼうで誰にでも牙を剥く実弥が、カナエの前では少しだけ態度を軟化させていたとしたら?
そんな二次創作で100万回見た光景が、実は公式設定だったかもしれない。この事実は、多くのファンの心を鷲掴みにしました。
「キメツ学園」という名の公式最大手
この「さねカナ」の炎に、さらに油を注いだのが公式スピンオフ『キメツ学園』です。
こちらでは、生物教師のカナエ先生と数学教師の不死川先生が「なぜか仲が良い」と明記されています。
その仲の良さは、嫉妬した男子生徒によって「不死川先生暗殺計画」が立てられるほど。
もはや「そういうこと」と解釈するしかない状況証拠のオンパレードです。
本編では悲劇に終わった二人の関係が、平和な世界で成就しているかもしれない。そう思わせてくれるだけで、我々は救われるのです。
彼女が残した「呪い」と、たった一つの「希望」
物語は進み、しのぶは姉の仇である上弦の弐・童磨と対峙します。
そこで致命傷を負い、心が折れかけたしのぶの前に、カナエの魂が現れます。
「しっかりしなさい 泣くことは許しません」
「しのぶならちゃんとやれる 頑張って」
これは、姉としての最後の叱咤激励であり、愛の言葉です。
しかし、彼女が死の間際にしのぶに遺した「本当の願い」は、また別のところにありました。
それは、「鬼殺隊を辞めて、普通の女の子の幸せを手に入れてお婆さんになるまで生きて欲しい」というもの。
この姉の「本音」は、しのぶを救うどころか、結果的に彼女の復讐心をさらに燃え上がらせ、自らの命を賭した策を選ばせる引き金となってしまいました。
カナエの理想も、本音も、その全てがしのぶを雁字搦めにし、彼女を死地へと追いやった。そう考えると、あまりにも切ない話です。
ただ、彼女は絶望だけを残したわけではありません。
心を閉ざしたカナヲに「銅貨」という行動のキッカケを与えたこと。これこそが、彼女が残した唯一にして最大の「希望」でした。
このキッカケがあったからこそ、カナヲは炭治郎と出会い、「自分の心の声に従う」ことができるようになったのです。
胡蝶カナエという人物は、単なる「心優しい聖女」ではありません。
その理想はあまりに純粋であるがゆえに、時に人を呪い、縛り付ける危うさを孕んでいました。
しかし、その根底にあるのは、間違いなく家族への深い愛です。
もし、彼女が死なずに、あのまま炭治郎と出会っていたら、物語はどう動いていたのでしょうか。
そんなifを想像させてくれる余地があることもまた、胡蝶カナエというキャラクターが、今なお多くのファンを惹きつけてやまない理由なのかもしれません。
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