【鬼滅の刃】黒死牟の圧倒的絶望感。最強の鬼が抱えた”人間臭い”コンプレックスとは?

『鬼滅の刃』に登場する敵役「鬼」。その中でも頂点に君臨するのが「十二鬼月」であり、さらにその上澄みが「上弦の鬼」です。

彼らが登場するたびに、読者は「こんなのどうやって勝つんだ…」という絶望を味わってきました。

そして、その絶望の頂点に立つ存在こそが、”上弦の壱”黒死牟(こくしぼう)ではないでしょうか。

初登場シーンの、あの静かながらも画面を支配する威圧感。俺たちのトラウマ製造機、猗窩座ですら一瞬で腕を斬り飛ばされる理不尽さ。

今回は、そんな作中屈指の強キャラでありながら、最も人間臭い苦悩を抱えた鬼、黒死牟の魅力と絶望的な強さの正体に迫っていきたいと思います。

もはや反則技。鬼でありながら「呼吸」を使う最強の剣士

黒死牟のヤバさを語る上で、まず外せないのがその戦闘スタイルです。

彼は鬼でありながら、鬼殺隊の剣士と同じく「全集中の呼吸」を使いこなします。それもそのはず、彼の正体は戦国時代に生きた元・鬼狩りなのですから。

これ、設定としてズルすぎませんかね?

鬼の持つ圧倒的な身体能力と再生能力に加えて、人間が極めた剣技の粋である「呼吸」まで使える。まさにチートです。

しかも、彼が使うのは自らの血鬼術と呼吸を融合させた「月の呼吸」。

刀を振るうたびに、三日月状の無数の斬撃が広範囲に発生するという、もはや回避不能な攻撃を繰り出します。型の数も拾陸と、全呼吸の中で最多。どんな状況にも対応できる万能っぷりです。

「この速さ…まずい!」

鬼殺隊最強と謳われる岩柱・悲鳴嶼行冥ですら、そう警戒するほどの異次元の速さと攻撃範囲。霞柱・時透無一郎や風柱・不死川実弥といったトップクラスの柱たちが束になっても、まるで歯が立たない。

あの絶望的な攻防は、多くの読者が「これ、本当に勝てるのか…?」と固唾を飲んで見守ったはずです。

秩序を重んじる武人肌。しかし、その根底にあるのは…

黒死牟のキャラクターを複雑にしているのが、その人物像です。

彼は上弦の壱として、絶対的な序列を重んじます。上弦の弐・童磨に突っかかる猗窩座を諫めるシーンは、彼の威厳と秩序を重んじる姿勢を象徴していました。

「猗窩座よ……気に食わぬのならば入れ替わりの血戦を申し込むことだ」

このセリフ、ただのパワハラ上司の発言じゃありません。そこには、実力こそが全てという武人としての価値観が透けて見えます。

実際、彼は敵である鬼殺隊の剣士に対しても、その実力や鍛錬を素直に認め、賞賛します。

そして、強者には「鬼になれ」と勧誘する。その理由は「折角鍛え上げた肉体・研鑽し極められた技が失われるのは惜しい」というもの。

一見すると、純粋に強さを愛する武人のように思えます。しかし、この価値観こそが、彼の抱える深い闇の入り口だったのかもしれません。

「人として生き、人として死ぬ」ことを矜持とする悲鳴嶼とは、まさに水と油。この対立構造こそが、物語の核心に繋がっていきます。

最強の鬼が隠し続けた、たった一つのコンプレックス

ここからは物語の核心に触れるので、アニメ派のあなたは注意してください。

なぜ黒死牟は、これほどまでに強さに執着したのか。なぜ人間を捨ててまで、永遠の時を求める鬼になったのか。

その答えは、彼の人間時代の名「継国巌勝(つぎくに みちかつ)」と、彼の双子の弟の存在にあります。

太陽(ひ)のとなりで輝けなかった月

彼の弟の名は、継国縁壱(つぎくに よりいち)。そう、全ての始まりである「日の呼吸」の使い手にして、鬼の始祖・鬼舞辻無惨をあと一歩まで追い詰めた、作中最強の人物です。

巌勝は、生まれながらにして天才であった弟・縁壱に対して、生涯にわたって強烈な嫉妬と劣等感を抱き続けていました。

自分こそが継国の跡継ぎであり、最強の侍になるはずだった。しかし、弟は赤子の頃から、自分には到底及ばない才能を見せつけてくる。

その嫉妬心が、彼を鬼殺の道へ、そして最終的には鬼への道へと駆り立てたのです。

最強の鬼「黒死牟」の正体は、最強の人間である弟に、ただの一度も勝てなかった男の成れの果てでした。この構図、あまりにも皮肉で、そして悲しすぎませんか。

「侍になりたかった」のではなく「“縁壱”になりたかった」

鬼殺隊との最終決戦。柱たちの猛攻によって追い詰められた黒死牟は、剣士としての矜持さえも捨て、全身から刃を生やした醜い化け物へと成り果てます。

その異形の姿が刀身に映った時、彼は悟るのです。

自分がなりたかったのは、最強の侍ではなかった。ただ、あの太陽のような弟、縁壱になりたかっただけなのだと。

しかし、彼が選んだ道は、太陽(日輪)から最も遠い、夜を生きる鬼の道でした。

何百年も生きて、家族も、子孫も、人間としての誇りも全て捨てて手に入れたかったものは、結局手に入らなかった。最期の瞬間にそれに気づき、自らの醜さに絶望しながら消滅していく様は、敵役ながら強烈な哀愁を誘います。

彼の亡骸のそばに、一本の笛が残されていました。それは、かつて巌勝が弟に作り、縁壱が死ぬまで大切に持っていたものでした。

この笛こそが、彼が捨てきれなかった唯一の人間性の証だったのかもしれません。

まとめ:黒死牟が我々を惹きつけてやまない理由

黒死牟というキャラクターは、単なる「倒すべき強大な敵」ではありません。

彼は、誰もが一度は抱いたことがあるであろう「才能への嫉妬」という、極めて人間的な感情に人生を狂わされた男の物語です。

圧倒的な強さと、その裏に隠された脆さや悲哀。このギャップこそが、黒死牟を『鬼滅の刃』の中でも屈指の人気キャラたらしめている理由ではないでしょうか。

彼の生き様は、強さとは何か、そして人間としての誇りとは何かを、我々に強く問いかけてくるのです。

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