こち亀の超神田寿司編はなぜつまらないと言われる?擬宝珠家の賛否

で、本音のところ、どうなの? こち亀の超神田寿司、つまり擬宝珠纏の実家の寿司屋が舞台になる回は、ぶっちゃけ今も好みが分かれます。正直に言うと、「つまらない」と言われる理由にはちゃんと筋がある。ただ結論から言えば、引っかかりの正体は寿司屋そのものより「両さんの居場所が変わったこと」です。論点を3つに分けて整理します。

【ネタバレ注意】本記事には『こちら葛飾区亀有公園前派出所』118〜120巻を中心とした、超神田寿司と擬宝珠家まわりの展開のネタバレが含まれます。

で、そもそも超神田寿司編って何だったの?

まず事実から。纏が初登場したのは、2000年3月3日発売の118巻です。集英社の118巻紹介文では、神田生まれの新人婦警として葛飾署に入ってきた纏が、浅草生まれの両さんを田舎者呼ばわりして大ゲンカになります。

本格的に寿司屋が舞台になるのは次の119巻(2000年5月1日発売)。119巻の紹介文によると、市民を殴って自宅謹慎になった両さんが、その間に纏の実家の寿司屋でアルバイトを始めます。女主人の夏春都に気に入られ、支店一号店を任されるところまで話が進みます。

同じ119巻で、纏の祖母・夏春都と、妹で幼稚園児の檸檬も初登場します(収録話のあらすじを紹介するガイド類による)。続く120巻では纏との結婚騒動が起き、両さんと擬宝珠家が親戚だったことが分かる。両さんの祖父と夏春都が兄妹で、纏と両さんは「はとこ」にあたる、という関係です。

巻(発売日) 超神田寿司まわりの主な出来事
118巻(2000年3月3日) 纏が新人婦警として登場。両さんと浅草・神田の意地の張り合い
119巻(2000年5月1日) 謹慎中の両さんが超神田寿司でアルバイト。夏春都・檸檬が登場し、支店も任される
120巻(2000年7月4日) 纏との結婚騒動。両さんと擬宝珠家の親戚関係が判明

※発売日とあらすじは集英社公式サイトの各巻ページより。

なぜ「寿司屋が出てきてからつまらない」と言われるのか?

ここからは読者の声です。感想を見比べると、理由はだいたい次の3つに集まります。

理由1:両さんが「まともに働けてしまう」

一番大きいのはこれだと思います。寿司屋での両さんは、板前として腕を認められ、早朝から真面目に働く。いつもの両さんとは別人のようです。

2021年に作品を読み返した読者の再読感想のまとめでも、職人の世界は両さんが真っ当に生きられる場所である一方、マンガとしては「破天荒な警官」をやっている方が断然面白い、という指摘がありました。警官に向いていない人が警官をやっているから笑える。その前提が揺らぐ、というわけです。

理由2:両さんより強い人がいる家

次によく見かけるのが、パワーバランスへの不満です。夏春都には頭が上がらず、檸檬には言い負かされる。好き勝手に暴れて最後にしっぺ返しを食らう、あの痛快さを期待している人ほど、物足りなく感じるという声があります。

檸檬や蜜柑に親バカぶりを見せる人情寄りの回が描かれるようになったことも、泣かせる話はこち亀に求めていない、というタイプの読者には合わなかったようです。気持ちは分かります。

理由3:古くからの読者には「途中から来た家族」

最後は時期の問題です。スポニチの2016年の記者コラムは、擬宝珠家の初登場(1999年)を「今の40代が社会人になり、漫画を離れた頃」と書き、オールドファンには馴染みが薄いと指摘しています。昔のこち亀を知る人ほど「寿司屋から変わった」と感じやすい構図です。

じゃあ、その批判は妥当なのか?

ぶっちゃけ、半分は妥当で、半分は狙いどおりだったと思います。

見逃せないのが作者の言葉です。同じスポニチのコラムによると、秋本治先生は「浅草生まれの両さんを、どこか他の場所で動かそうと考え、神田でお寿司屋さんをさせることにした」と語り、「神田での両さんは、家庭の両さん。僕も描いていて楽しかった。普段は描けない両さんを描けた」とも話しています。

つまり「いつもと違う両さん」は失敗ではなく、最初から狙っていたもの。批判のポイントと作者の狙いが、ほぼ同じ場所にあるんです。

先ほどの再読まとめも、批判だけでは終わっていません。派出所と葛飾署の周りに限られていた舞台とキャラの幅が一気に広がり、長期連載の足掛かりになった、と評価しています。

論点 妥当だと思う部分 言い過ぎだと思う部分
両さんが真面目に働く 警官としての暴走が控えめな回はある 「普段は描けない両さん」は作者の狙いだった
擬宝珠家が強すぎる 両さんが負け役に回る回は痛快さが薄い 纏とぶつかり合う回は対等なケンカとして成立している
途中から来た家族 古参ファンには馴染みが薄い 後から読み始めた世代には作品の柱のひとつ

なお、同じ後期の新舞台としては大阪の通天閣署も賛否が分かれましたが、寿司屋の場合は「両さんの家庭」を描く場所だった点が大きく違います。

本音のところ

わかる、あれはね…。両さんが夏春都にお説教されて終わる回は、正直モヤっとします。派出所で部長に追いかけ回される両さんが好きな人ほど、そう感じるはずです。

でも、40年続いた連載の折り返しを過ぎたところで、両さんに「帰る家」のような場所を用意した。これはかなり思い切った挑戦だったと思うんです。檸檬の前でだけ見せる優しさや、夏春都と張り合いながらも店を手伝う姿は、派出所の中だけでは描けない顔でした。それを「らしくない」と感じるか「新しい」と感じるかで、評価が分かれているのだと思います。

だから「つまらない」も「好き」も、どちらも作品をちゃんと読んだ人の感想です。どっちが正解という話ではありません。どう感じるかは読者次第、そこは開いておきたいと思います。

それでも超神田寿司の回が面白い理由

こち亀の超神田寿司編が「つまらない」と言われる理由は、両さんが真っ当に働けてしまうこと、擬宝珠家が強すぎること、古参ファンに馴染みが薄いことの3つ。どれも読者の実感から出た声です。

でもね、警官でも板前でも、どこに放り込んでも騒ぎを起こす両さんがいるから、こち亀は面白いんだ。気になった人は、118巻の纏の初登場から、自分の目で確かめてみてください。


辛口でまとめるつもりが、資料を読むうちに檸檬の回ばかり読み返していました。両さんの握る寿司を一度食べてみたい…いや、手は洗ってからでお願いします。

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