【呪術廻戦】両面宿儺という『絶対悪』。その強さと孤独を再考する
- 2025.09.19
- 呪術廻戦
『呪術廻戦』という作品を語る上で、両面宿儺という存在は避けて通れません。
「史上最強最悪の呪いの王」。その肩書だけで、もうお腹いっぱいですよね。
圧倒的な力で全てを蹂躙し、弱者を虫けらのように扱う。
まさに天上天下唯我独尊を地で行くキャラクターです。
しかし、俺は思うんです。彼を「ただのサイコパスな悪役」で片付けてしまうのは、あまりにもったいない、と。
彼の言動の端々には、単なる残虐性では説明できない、奇妙な哲学と底知れぬ孤独が渦巻いているように見えるのです。
今回は、この「呪いの王」の深淵を、少しだけ覗き込んでみることにしましょう。
強者への奇妙なリスペクトと、最強が故の「退屈」
宿儺の行動原理は、己の「快・不快」が全て。これは作中で何度も示されています。
しかし、彼の態度は相手によって面白いほど変わります。
特に印象的なのが、渋谷事変での漏瑚との一戦でしょう。
戯れのように漏瑚を圧倒し、最後は彼の得意な炎で焼き尽くす。
まさに外道の極み。ですが、死にゆく漏瑚にかけた言葉は意外なものでした。
「誇れ、お前は強い」
あの宿儺が、敵である呪霊を称賛したのです。
これは単なる気まぐれでしょうか? 俺にはそうは思えません。
彼は、自分以外の存在を「死ぬまでの暇つぶし」と公言しています。
その言葉の裏には、絶対的な強者であるが故の、どうしようもない退屈と虚無感が透けて見えます。
だからこそ、彼は自分を楽しませてくれる「強者」に対して、ある種のリスペクトを払うのではないでしょうか。
それは、五条悟との死闘で見せた愉悦の表情にも通じるものがあります。
彼の残虐性は、この「退屈」を紛らわすための、最も手っ取り早い手段なのかもしれません。
呪いの王は一流料理人? 術式に隠された根源的な「業」
宿儺の魅力を語る上で外せないのが、彼の術式に関する考察です。
斬撃を飛ばす「解」と「捌」。そして、謎の炎を放つ「■ 開(フーガ)」。
長らく謎だった「■」の正体が「竈(カミノ)」であることが判明した時、ネットは騒然としました。
「解」「捌」「竈」…これ、どう考えても調理工程ですよね?
魚を捌き、解体し、竈で焼く。彼の術式は「料理」がテーマなのではないか、という説です。
「凶悪な厨房」が示すもの
この説を補強するのが、領域展開「伏魔御廚子」。
「御廚子」とは、神様の食事を用意する台所を意味する言葉です。
さらに、アニメの海外版では「Malevolent Kitchen(凶悪な厨房)」と英訳されています。
もはや公式が「宿儺=料理人」説を後押ししているようなもの。
彼の領域が、生物を塵になるまで切り刻む「万死の厨房」であると考えると、全てが繋がってきます。
さて、ここからは少しエグい話になりますが、この考察は彼の壮絶な過去に繋がります。
宿儺は、生まれる前に胎内で双子の片割れを喰らうことで生き延びた、と示唆されています。
「飢え」を満たすために、最も近しい存在を「喰らった」。
この根源的な罪と生存本能が、彼の術式の本質を形作っているとしたら…?
彼の圧倒的な力は、単なる才能ではなく、生きるために背負った「業」そのものなのかもしれません。
そう考えると、彼の口から「食」にまつわる言葉が多く出るのも、ただの比喩とは思えなくなってきます。
鏡合わせの存在、虎杖悠仁との歪な共存関係
宿儺を語る上で、器である虎杖悠仁の存在は欠かせません。
当初、宿儺は虎杖をただの「檻」としか見ておらず、「お前のせいで人が死ぬ」と嘲笑い、精神的に追い詰めることに執心していました。
典型的な悪役と主人公の関係性。誰もがそう思っていたはずです。
しかし、物語が進むにつれ、その関係は奇妙な変容を遂げます。
人外魔境新宿決戦。何度打ちのめされても立ち上がる虎杖に対し、宿儺は忌々しさを感じながらも、その「百折不撓の理想」を認めざるを得なくなります。
そして明かされた衝撃の事実。虎杖の祖父は、宿儺が喰らった双子の片割れの生まれ変わり。
つまり、二人は血の繋がりこそないものの、魂レベルでは「大叔父」と「又甥」という関係だったのです。
この関係性が、また面白い。
宿儺は、己の快不快のみで生きる、いわば「本能」の塊。
対する虎杖は、他人のために命を懸ける「理想」の体現者。
本来、最も相容れないはずの二人が、一つの肉体を共有し、魂レベルで繋がっている。
宿儺が虎杖の影響を内心で自覚しているという描写は、絶対悪であるはずの彼が、最も唾棄すべき青臭い理想に揺さぶられていることを示しています。
特に、虎杖から憐れみの目を向けられた時の、宿儺の凄まじい怒りよう。
あれは、彼の最も触れられたくない部分、つまり「忌み子」として虐げられ、誰からも理解されなかった過去の孤独を抉られたからではないでしょうか。
ただの「悪」ではない、その先の何かへ
両面宿儺は、間違いなく「悪」です。彼の行いは決して許されるものではありません。
しかし、彼の背景を知り、その言動を紐解いていくと、単なる「悪のカリスマ」という言葉では片付けられない、複雑な魅力が見えてきます。
最強であるが故の孤独。生きるために背負った根源的な業。そして、最も忌み嫌うはずの理想に心を揺さぶられる皮肉。
彼の「絶対悪」という在り方は、もしかしたら、そう生きる以外に道がなかった者の、千年にわたる咆哮なのかもしれません。
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