星野アクアの『悲しみ』が好きすぎる|推しの子最終回まで語る【ネタバレ注意】

今日も推しの話をさせてください。

※この記事は『推しの子』の最終回までの内容に触れます。原作未読・アニメ未視聴の方はご注意ください。

星野アクア。本名・星野愛久愛海(ほしの あくあまりん)。推しの子を語るとき、結局この子の話に戻ってきてしまうんです。アイの話をしても、ルビーの話をしても、有馬かなの話をしても、最後は「アクアはどうしてあの選択をしたんだろう」に着地する。それくらい、この物語の重力はアクアに集まっています。最終回まで見届けた今だからこそ、語らせてください。

「悲劇の被害者」を演じきった人

役割を選ばされた、のではなく、自分で選んだ

アクアの最終回、何度も読み返したけれど、毎回同じところで息が止まります。アクアはカミキヒカルを「殺して終わり」にすることもできた。それを選ばずに、自分のお腹をナイフで刺し、カミキを掴んだまま崖下の海へ落ちていく。

この最後の選択について、考察界隈では「アクアは死ぬべきだったのか」という議論が今でも続いています。私の答えは、アクアにとってこれは「死」ではなく「役割の完成」だったんじゃないか、というもの。

アクアは物語の中で、自分自身を「悲劇の被害者」として演じることを選びました。カミキヒカルを「悪役」として物語に閉じ込めるためには、自分が「被害者」として完璧でなければならない。被害者が生き延びてしまうと、物語の重力が変わってしまう。だからアクアは、自分の身体を映画『15年の嘘』の最後のフィルムに焼き付けた。

……これ、書きながら今もしんどい。

「役者」としてのアクア

忘れちゃいけないのは、アクアは子役からスタートしたれっきとした「役者」だということ。前世のゴロー医師の記憶を持っていて、頭が良くて、感情を抑えるのが得意で、人を観察するのが上手い。役者として、これ以上ない素質です。

でもアクアの本質は、「演技がうまい役者」じゃなくて「演じることでしか自分を保てない人」なんだと思う。母・アイを失ったあの夜から、アクアはずっと何かを演じている。優しい兄、面倒見のいい先輩、感情の薄い同級生、復讐を諦めたフリをする少年。最期の「悲劇の被害者」は、彼が演じてきた役の集大成です。

これって、めちゃくちゃ悲しい話じゃないですか。

アイへの愛が、復讐になってしまった理由

アクアの根っこにあるもの

アクアの復讐の動機を「アイの仇討ち」と一言でまとめるのは、私はちょっと違うと思っています。もちろんそれが大きな動機だけど、それだけじゃない。

アクアは前世の記憶を持って生まれてきました。前世のゴローはアイドル・星野アイの追っかけで、彼女の子供の主治医をしている最中に殺された。生まれ変わって、今度はアイの息子になった。やっと幸せになれた、と思った矢先に、アイは目の前で殺される。

……アクアの人生、報われ方がわからなくないですか?

アクアにとってアイは、母であり、推しであり、世界そのものでした。その全部を失ったとき、彼に残ったのは「カミキヒカルを許せない自分」だけ。復讐は、アクアにとって「アイへの愛を証明する唯一の方法」になってしまった。愛が手段を持たなくなったとき、復讐に変換される。これ、書いてて泣きそうです。

カミキヒカルとの対峙シーンが見せたもの

アクアがカミキと最終的に向き合うシーン。カミキに反省の色が全くないことを確認した瞬間のアクア、本当にしんどい。あの瞬間、アクアの頭の中で何が起きていたんだろう、と何度も考えました。

もしカミキが反省していたら、アクアはどうしただろう。たぶん、それでも復讐の手段は変わったとしても、自分を犠牲にする選択は変わらなかったと思う。アクアの選択は、カミキの態度に対する反応じゃなくて、アクア自身の「物語の閉じ方」だったから。カミキがどう出ようと、アクアは自分の役割を全うするつもりだった。

……ちょっと待って、これに気づいたとき、本当に椅子から立てなかった。

ルビーへの愛が一番痛い

双子で、最後まで信じてくれた人

アクアの愛の表現で一番不器用で一番深いのが、ルビーへの愛です。双子の妹であり、アイの「もう一人の生まれ変わり的存在」でもあるルビー。アクアはルビーには、自分の復讐計画を最後まで完全には共有しなかった。

これ、優しさだとも言えるし、傲慢だとも言える。でも、ルビーをこの計画に巻き込みたくなかったアクアの気持ちが、私はすごく分かる。ルビーには「アイドルとしての星野ルビー」を全うしてほしかった。自分のように「役を演じる人生」じゃなくて、ルビーには「ルビー自身でいてほしかった」。

残されたルビーが選んだ未来

最終回で、アクアの死を受け入れたルビーがB小町としての活動を再開するシーン。ここで号泣した人、たぶん多いと思います。

ルビーがB小町を続けることは、アクアが命をかけて守った「アイの夢の続き」を担うこと。アクアの選択は無駄じゃなかった、と最終回が教えてくれる。残された人が前に進む——これが推しの子という作品の最後のメッセージで、アクアの選択を物語的に肯定する設計でもあります。

……でも正直、肯定されたとしても、アクアに生きていてほしかった。これは私の勝手な感想です。

映画『15年の嘘』というアクアの遺作

映画というメディアを使った復讐

アクアの復讐の最大の武器は、暴力でも法でもなく「映画」でした。映画『15年の嘘』を企画・主演し、カミキヒカルの過去の犯罪——アイ殺害教唆、姫川愛梨夫妻の心中偽装、片寄ゆら殺害——を物語の中に焼き付けた。映画として観客に届けることで、カミキを「悪役」として永遠に封じ込めた。

これ、設計が美しすぎませんか。アクアは「役者」としての自分の力で、母・アイの仇を取った。アイがアイドルとして「嘘から始まる愛は本物にできる」を信じていた人だとすれば、アクアは「嘘の物語で真実を裁ける」ことを証明した人。母と息子の方法論は対になっています。

『15年の嘘』が遺したもの

映画はアクアの遺作になりました。アクアが書き、演じ、最後の身体まで使い切った1本のフィルム。これがあるから、アクアの死は「無駄な犠牲」じゃなくて「完成した作品」になります。

……いや、何度言っても自分を納得させきれないんですけど。

アクアという「悲しみ」が好きな理由

不器用さに人格が宿っている

アクアの魅力を一言で表すなら、「不器用さ」です。前世の記憶があって頭が良くて、何でもできるはずなのに、人を愛することと自分を救うことだけはどうしても上手くできない。

有馬かなとの関係も、黒川あかねとの関係も、アクアは結局「愛する人を巻き込まないように」と距離を取ってしまう。それが本当の優しさかというと違う。むしろ自分のためでもあるし、相手を一方的に守ろうとする傲慢さでもある。でもその「うまくできない」感じこそが、アクアを血肉のあるキャラクターにしています。

「悲しみ」を愛するということ

推しの子を読み終えてから、アクアの悲しみが好きすぎる、と何度も思いました。これは「悲劇が好き」という意味じゃなくて、「アクアが抱え続けた悲しみの形が好き」ということ。あの悲しみがあったから、アクアはアクアでいられた。あの悲しみを抱えたまま生き続けることはできなかったかもしれないけれど、あの悲しみを共有できる作品があってよかった。

……書ききれていないことがまだたくさんあります。アクアと有馬かなの関係、ルビーへの最後の言葉、カミキとの最後のやりとり、それぞれで記事1本書けます。でも今日はここまで。

まとめ

星野アクアは、復讐者であり、役者であり、愛する人を守ろうとして自分を壊した人でした。本名・星野愛久愛海。彼が選んだ「悲劇の被害者」という役は、母・アイへの愛を証明する唯一の方法であり、ルビーが歩いていく未来を守るための最後の演技でした。最終回でアクアを失った悲しみは、まだ消えていません。でもこの悲しみがあるから、アクアという人物を覚えていられる。それでいい、と今は思っています。


アクアの記事を書くのは怖かった。書いている間に何度も手が止まりました。でも、書いて良かったです。アクアのことを語る場所が、自分の中にちゃんとあると確認できたから。読んでくださってありがとうございました。——花詠ミサキ

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