【チェンソーマン】三鷹アサはなぜ「残念な美少女」なのか?共感と憐憫を誘う孤独のヒロインを徹底解剖する

『チェンソーマン』第二部が開幕し、我々の前に現れた新たな主人公、三鷹アサ。

デンジとはまた違ったベクトルで、どうしようもなく厄介で、そしてどうしようもなく目が離せない存在だ。

SNSでは「残念な美少女」「女性版デンジ」なんて呼ばれ方もされている。

わかる。めちゃくちゃわかる。でも、だからこそ彼女に惹かれてしまう自分がいるんだよな。

今回は、そんな一筋縄ではいかないヒロイン、三鷹アサの魅力の本質に迫っていきたいと思う。

完璧じゃないから愛おしい。「残念な美少女」の正体

まず、三鷹アサというキャラクターの基本スペックを見てみよう。

黒髪セミロングに太い眉毛、本人が「そこそこ可愛い」と自覚するほどのルックス。

しかし、その内面はというと、常に仏頂面で無愛想。

クラスメイトの輪にも入れず、内心では彼らに嫉みや僻みを向ける、典型的な「陰キャラ」だ。

まあ、ここまではよくある設定かもしれない。

だが、アサの厄介さはそこからさらに一段階ギアが上がる。

彼女は「自分の間違いを認めない我の強さ」「知識でマウントを取る傲慢さ」を併せ持っている。

痛い。見ていてちょっと痛々しい。でも、こういう一面って、多かれ少なかれ誰の心にも潜んでいるものじゃないだろうか。

「チェンソーマンもコケピーも早く死なないかな…」

このセリフに、彼女の屈折した内面が集約されている。

そして彼女を語る上で欠かせないのが、「ここぞという大事な場面で必ずドジをして、事態を悪化させてしまう」という、もはや呪いレベルの悪癖だ。

クラスで飼育していた鶏の悪魔「コケピー」との一件は、その象徴と言えるだろう。

ようやくクラスに馴染めると思った矢先、転倒してコケピーを圧死させてしまう。

この一連の流れは、読んでいるこっちの胃がキリキリするほどだった。

悪気はないのに、いつも最悪の結果を招いてしまう。

この救いのない不器用さが、彼女を単なる「嫌な奴」ではなく、どこか守ってやりたいと思わせる「残念な美少女」たらしめている最大の要因ではないだろうか。

痛々しさがクセになる?アサの恋愛観と「女性版デンジ」の称号

戦争の悪魔ヨルと体を共有することになり、物語はさらに加速する。

特に、デンジとの水族館デートは、三鷹アサの「残念」っぷりが遺憾なく発揮された伝説の回だ。

デートのために図書館で海洋生物の知識を詰め込み、それをマシンガンのように解説し続けるアサ。

相手を楽しませるため、というよりは、自分が用意した完璧なプランを遂行することに必死な姿は、もはや涙ぐましい。

あのデンジにすら呆れられ、相棒のヨルからも辛辣な一言を浴びせられる始末。

「もしかしてお前…つまらない人間なんじゃないか…?」

この言葉にカチンときて、また強い口調で反論してしまうあたりが、実にアサらしい。

精神的に脆いのに、プライドだけはエベレスト級。このアンバランスさが彼女の魅力なんだよな。

さらに、彼女の恋愛偏差値の低さは筋金入りだ。

吉田ヒロフミに少し価値観を肯定されただけで、「こいつ、私に気があるんじゃ?」と秒で勘違い。

そして、それが空振りだと知ると、地の底まで落ち込む。

このチョロさと面倒くささのコンボは、まさに「女性版デンジ」という評価がしっくりくる。

承認欲求がこじれにこじれ、異性との適切な距離感が全くわかっていない。

恋愛でマウントを取ろうとするが、その実、自分も相手に少し優しくされただけでコロッといってしまう。

両者はまさに合わせ鏡のような存在なのだ。

だが、ここで忘れてはいけない。

彼女がこうなってしまったのには、悪魔に両親を殺され、学校で孤立してきたという過酷な背景がある。

その寂しさを考えれば、彼女の傲慢さや不器用さも、自分を守るための武装だったのかもしれない、と思えてくる。

ただ笑える「残念な子」で終わらせない、この絶妙なキャラクター造形が藤本タツキ先生の真骨頂だろう。

ネガティブが最強の武器に変わる時

そんなアサだが、戦争の悪魔ヨルと融合したことで、とんでもない能力を手に入れる。

それは、「自分の物を武器に変える力」

この能力の面白いところは、武器の強さが「対象への罪悪感」に比例する、という点だ。

そう、もうお分かりだろう。

自己肯定感が低く、常に何かしらの罪悪感を抱えているアサは、この能力との相性が抜群なのだ。

常に罪悪感ゼロの戦闘狂ヨルでは作れない「強い武器」を、アサはいとも簡単に作り出してしまう。

ネガティブな性格が、皮肉にも最強の力となる。

この設定には思わず膝を打った。

彼女が生み出す武器の名前もまた、彼女の残念さを引き立てている。

  • 制服強強剣(せいふくつよつよけん)
  • 水族館槍(あくありうむすぴあ)

このネーミングセンス、どうなんだ。

最高にダサくて、最高に愛おしいじゃないか。

特に「制服強強剣」は、亡き母が買ってくれた制服から生成されたことで、アサの罪悪感が最大に乗り、凄まじい威力を発揮した。

彼女の不幸やネガティブな感情が、そのまま戦闘力に直結するシステム。

それは、アサがただヨルに利用されるだけの存在ではなく、この物語において必要不可欠なパートナーであることを示している。

普段はドジで不器用な彼女が、いざという時には機転を利かせ、そのネガティブさすら利用して戦う姿には、確かな格好良さがある。

我々はなぜ、三鷹アサから目が離せないのか

三鷹アサは、決して完璧なヒロインではない。

むしろ、欠点だらけで、痛々しく、見ていて不安にさせられるキャラクターだ。

協調性がなく、ここぞという時に失敗する。

作中で伊勢海ハルカに言われた辛辣な言葉は、読んでいる俺たちの心にもグサリと刺さる。

「文句を言って協調性がない ここぞという時に失敗する キミには期待してたんだけどね…」

そう、彼女の抱える弱さやコンプレックスは、俺たちが心のどこかで見て見ぬふりをしてきた「こうなりたくなかった自分」の姿そのものなのかもしれない。

だからこそ、俺たちは三鷹アサに自分の一部を重ね合わせ、共感し、時に苛立ち、それでも彼女の幸せを願ってしまうのではないだろうか。

孤独と承認欲求の狭間で揺れ動く、不器用で残念な美少女。

彼女がこれからどんな成長を遂げるのか、あるいは破滅へと突き進むのか。

その物語の行く末を、俺は固唾を飲んで見守っていきたいと思う。

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